ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
  • 0287-65-2830
  • 〒329-3153
    栃木県那須塩原市大原間403-6
    那須塩原駅東口徒歩3分
  • 診療
    時間
    日祝
    9:00

    13:00
    14:30

    18:00
    ※土曜日の診察時間は17:00までとなります。
    ※木曜日は不定休です。
  • 設備
    駐車場4台完備
    車いすの患者様スロープ完備

ごじゃっぺ高座

すったもんだの相手探し

  • 2020年07月04日

 大学同窓会報が先ごろ届き、そこに投稿した写真付きの駄文が掲載された。それを読んだ東京、神奈川や、四国の同窓から生きていたんだねと、、とまあ、激励の電話が相次いであった。その写真は今年2月に開催した地元同窓会懇親会の集合写真。7人だけの写真なのでかなり大きく載った。その中に、M,H先生も写っていた。

 さて、幼稚園の検診から戻ったら、従業員から、M先生から電話があったとか。M先生は地元の同窓でもあり先輩。かけ直しますかと従業員が聞いたところ、いいですとの返事。ハテ、なんだろう。パソコンを開いたら、差出人の名前のないメールが届いていた。内容は私の書いた駄文を読んだ同窓から、懐かしいと問い合わせが数件あった。ところが、その会報が私のところにまだ届いていない。今年はまだ一冊も届いていない。どうしたもんかと、、、とっさに、このメールはM先生と直感。

 同窓会本部へM先生のことをメールで連絡。すぐ返事が届き、住所を確認してほしいと、、、届け先の住所は間違っていなかった。おかしいなあ。そんなことを返信メールに書こうとしたら、拙宅のパソコンに登録してあるアドレスから差出人の名前が出た。H先生だ。ったくもう。また同窓会本部へ連絡したら、安の定、今年に入って宛名不明で戻って来た同窓の一人とのこと。住所が旧住所になっており、まだそちらに送っていたとのこと。M先生じゃなかったんだ。さっそくH先生にその旨をメール。同窓会から後日、新住所に会報を送るという話。一件落着。

 さて、後日、M先生からハガキが届いた。同窓会報を読んだ友人たちから数件問い合わせの電話を頂いた。嬉しかったとのこと。それで拙宅へ電話で報告しようとしたとの内容であった。再び一件落着。

無断駐車にがっくり

  • 2020年07月03日

 当院の駐車場は猫の額ほどの広さで、それに併せた治療形態でやっている。開業当初はよく無断駐車をされた。なのでアポイント時間にやってきた患者さんが駐車するスペースがなく、医院の周りを空くまでグルグルまわっていたことがあった。のこのこドライバーが戻ってきたら厳重注意。長年やっていると近所の方たちもわかってきて、休診日などはわざわざ駐車させてほしいと連絡が入る。もちろんどうぞどうぞ。

 先頃、夕方診療中に一台の黒塗りの軽自動車が駐車場へ入ってきた。はて、アポイントナシの患者さんかしら、、、。降りた女性は反対方向へ歩いて行った。ありゃ、こりゃ無断駐車だ。でもすぐ戻るのかなあと思ったら、結局50分後に戻り、去っていった。

 この間、証拠写真を撮り、迷惑ですと張り紙を書いてワイパーに挟んでおいた。何かしら反応があるかと思ったら当然、無視して去って行った。地元民はない。なぜなら、この周りの住民は皆知っているし、当院の駐車場事情も分かっている。わざわざ無断駐車する輩はひとりもいないし、どこの家にも駐車スペースはある。

 ガムテープでグルグル巻きにしようかと思ったが、逆にこちらが訴えられる。まあ、次の日、ご近所の方にそんな話をしたら、当院の事情を知らないあの家だとすぐわかった。その家に訪ねてきた友人の車とのこと。それにしても図々しいも程がある。

箱根山登頂

  • 2020年06月22日

新宿区戸山、大久保3丁目にかけて戸山公園がある。江戸時代には尾張徳川家下屋敷戸山荘があったとか。明治7(1874)には陸軍用地として戸山学校が置かれ、第二次大戦後は国有地とあり、その一部が昭和29(1954)年に都立戸山公園・箱根山地区として開園した。今では戸山団地として失礼ながらお年を召した方が暮らしている。

 その一角にある箱根山。ちょうど雨が上がった時間。園内はぬかるみ。その箱根山なるものを目指した。

 頂上まで20メートルぐらいの距離。階段を登ろうとしたら上から初老の御婦人が手すりをつかまりながらゆっくり降りてきた。とてもすれ違うようなスペースはない。降りてから上り始めた。頂上には他にも上る道があった。私はオーソドックスな登頂口を利用。

 頂上の景色は失礼ながら何も見えない。建て物ばかり。登頂証明書をさしあげるとのこと。つきましては戸山公園サービスセンターまで来てくださいと云う看板。さて、その場所がわからん。頂上のベンチに地元のお母さん、子ども二組がいて、場所をきいたら、大久保地区にあるとのこと。この場所は戸山地区。私のカンピューターが働きだし、明治通りを渡った早稲田大学理工学部の近くかしらということでさっそく行動開始。先ほどの階段を下った。そこで怖かった経験。後ろから人が迫ってきた。それもどんどん迫ってくる。先ほどの親子かなあ。怖くなり、一段飛ばして降りた。振り向いたらどこかのクソ親父がジョギング途中。あおられるということはそういうことか。雨で滑りやすい階段。そして狭い。追い抜く必要があるのかしら。前に人がいるんならペースを合わせろよ。もし私が焦って滑って転んで怪我でもしたら、当然あおり運転じゃないが、それなりの賠償金を請求するぞ!!

 新宿中央図書館まで行って、チンプンカンプン。戻ろうと思ったが、そこでスマホナビを思い出し、設定。そのまままっすぐあと2分と、、、左に曲がり、プレハブの工事現場の建物が戸山公園サービスセンター。丁寧に職員は対応してくれて記念写真まで取ってくれた。ただ登頂よりもサービスセンター探しで疲れた。

 

 

中野のライオンの続き

  • 2020年06月19日

 ずいぶん昔に見たこと聴いたことが頭から離れない。あれは聴き間違いなのか、それとも、、、向田邦子さんは電車の中から飼い主とライオン二人?窓に立っていのを電車の中から見たとの記憶。当時車内から外を見ていたと思われる客たちはいたが誰も反応がなかったとか、、、記憶間違いかなあと、、、ところが20年近く経って、やはり間違いではなかったという話。

 私にもある。40年以上も前、下宿に医科歯科大学に通っていた綺麗な女子学生が居た。彼女が卒業し、大学の医局に残った。次の年、同じ医局に後輩女性が入局。その女性の父親が私の母校の教授とか。何で父親の大学へ行かなかったのかと聞いたら、大学では変わり者で通っており、とても行きづらい。なので医科歯科へ入学したとか。そんなんでは入れちゃうんだから優秀なんだ。

 そのユニークな教授は実際いた。私が教わる学年になった時に、定年退官。だから噂だけ。それより、娘が医科歯科に入学したということが気になった。確かめようがない。誰に聞いたらいいんだろう。ユニークな教授ということは同窓でも噂。しかし娘のことまでは誰も知らない。私の聴き間違いか、、、

 それが40年ぶりにあっけなく解決。栃木県内では毎年県内の歯学部同窓会の集まりがある。たまたま私の隣に座った方が医科歯科出身の同窓会長。恐れながら聴いたら、彼女は同級生とのこと。父親が私の母校の教授ということまで話してくれた。なんだ身近にいたじゃないか、、、

 そのユニークは教授の話は次回、、、

中野のライオン

  • 2020年06月15日

先頃読んでいる向田邦子のベストエッセイの中のタイトルの一つである。

 1979年の別冊小説新潮春季号書いたエッセイのこと。20年ほど前に中野を通った電車の窓から木造アパートらしき窓からヨレヨレのシャツを来た男性と隣にライオンが顔を出しているのを見たとのこと。驚いたことに、他に電車に乗っていた客も外を見ていたら気が付くはずなのに、誰も騒がない。向田邦子は私の記憶間違いかとずっと悩んでいたとの事。それにしてもあまりにも鮮明な記憶。そんな内容を別冊小説新潮に投稿したところ、5日ぐらい経ってから、電話があり、あのライオンの隣にいたのは私ですと、、、そのあと、その本人とお会いして、ライオンの経緯等と聞いたとのこと。

 不思議な記憶というのがある。わかるなあ、その気持ち。私にもあれは本当だったのかどうかという記憶がある。それについてまたいつか書かせて頂く。でも天邪鬼の私は別な疑問。向田邦子さん宅へその本人から直接電話が来たそうだ。どうしてわかったんだろう。

 先ごろ志村けんが亡くなり、その特集をやった。いかりや長介の家に直接入門願い。それにしても何で大スターの家がわかったんだろう。その昔、けっこう雑誌等に芸能人の住所が載っていたそうだ。向田邦子さんもその口かしら、、、

前を歩く健脚にがっくり

  • 2020年06月08日

 日が長いので、休みの日のウォーキングは、ラジオ体操前に行う。っていうか、休みの日だと早く目が覚めてしまう。先日の日曜日も早朝5時ごろから歩き出した。普段すれ違う方はいない。日が長いといことは実に気分がいい。得した気分。ただ、たまに前を歩いている方と遭遇することがある。自分のペースで歩きたいのに、どうも前を歩いている方をみるとと、抜かしていいのかどうかと、、、前を歩いている方も後ろからついてこられると気分のいいもんではない。

 この日も前に誰も歩いている人が居なくて、自分のペースで歩いていた。ところが前の路地から一人、私よりも年上らしい方が出てきて歩き出した。気になるなあ。抜いていいのかどうか、、、考え事をしてふと前を見たらいない。レレレ。ずっと前を歩いている。また考え事をして前を見たらもっと離されていた。トホホ。

 人間ドックを受けたとき、問診票に同年齢と比べて歩く速さは遅い、普通、早いという項目があり、毎年早いへ〇をしていた。次回から普通に〇をしようかな。

 以前宇都宮の大通りを歩いていたら、後ろから二人並んでおしゃべりをしながら歩いている女子高生に抜かれた。それも自然に、、、若いとは思ってはいたが、歳相応っていうことかしら、、、

おら、東京さ行くだ

  • 2020年06月03日

 先日のラジオ体操でのこと。一人寒がりの御婦人が綺麗なコートを着てきた。それを見ていた仲間たちが、いい服着ているね。これから東京へいくの?、、、と。いや、正確の発音すると、「東京へ行くのけ?」ラジオ体操のメンバーは那須塩原駅近くの御老人たち。それは失礼か、、私が一番若い。その上が5歳上かな。

 新幹線に乗ればすぐ東京。新幹線通勤をしている方たちも多い。中には大子から車で那須塩原駅までやってきて、都内へ新幹線通勤。大変だ。

 でも元々地元で暮らしている住民にとって、東京はあこがれの地。私も信州の山奥で育ち、都会に憧れていた。今でも憧れている。東京で暮らしている人たちを羨望の目で見ていた。上京し、大学、そしてしばらく都内で生活。都内に居たときは、今思えば、そんなに出歩かなかったなあ。下宿の周りをウロウロしていたようだ。当地へ越してきて、たまに上京すると、行ったことのないまだまだ魅力的な場所へ足を運ぶ。

 那須高原に国会をと、今でも当地に看板がある。国会は東京でいいなあ。今はコロナで大変な時期。行きたいけど自粛しています。

 なお、その御婦人はコートを脱いで体操。その下はエプロンだった。

大学応援団

  • 2020年05月20日

 毎朝NHKの「エール」を見ている。おもしろい。古関祐二の生涯。字が違うかな。今は早稲田大学応援団のこと。応援団と云えば法政大学応援団を思い出す。在京時代、六大学で法政大学が優勝した。その祝勝パレードで住んでいた神楽坂を通った。法政はすぐ近所。オープンカーには江川卓が載っていた。車の先頭にはでかい応援団旗を持った団長らしきものが歩いていた。その10メートルぐらい前をこれもまた応援団が一人歩いていて、電線があると、団長のところへ走って来て「オス、電線があります」としゃがれた声でイチイチ報告。応援団旗を下げて通過。当時、見ていて、いちいち報告しなくてもわかるのに、、、と思っていたが、今思えば、安全策でよかったかも。昔、地元のバスへ乗った時、車掌さんも乗っていて、踏切を渡るとき、先に下りて、渡ってからまた乗った場面を思い出したっけ。

 その昔「ああ、花の応援団」というギャグ漫画があった。面白くてよく読んだ。その中の一つの場面。テレビに芸能人水泳大会があり、それを見ていた団長が好きな芸能人が出てるということで、団員に応援しろと、、、、団員達はテレビの前で応援。その芸能人が負けてしまった。そしたら応援が足りないからだと、ぶん殴っていた。どうもそういうイメージが応援団にあった。さすが今はないと思うが、、、

鯉のうま煮

  • 2020年05月18日

 鯉の甘露煮ともいう。先日実家近くの鰻屋から「鯉のうま煮」を鰻といっしょに送ってもらった。鯉のうま煮は懐かしい。実家ではお祭りのとき、鯉のうま煮を振る舞った。母親は生きた鯉を仕入れて、台所で鯉の脳天を包丁で叩き、気絶させて輪切りにして煮た。内臓はそのまま、ウロコもそのまま。親戚へ行っても何かの目出度いときには鯉のうま煮を振る舞った。そうそう、地元の結婚式では定番料理。

 長女が生まれたとき、鯉のうま煮を食べると母乳が出るということで、実家の親戚がたくさん送ってくれた。東京に居た時だ。家内は栃木人。鯉は苦手とのこと。しょうがないから私が全部平らげた。何だか私の胸が膨らんできたようだ。

 栃木に住むようになり、鯉の話をしたら、どうも栃木人は鯉が苦手。ご近所の方の息子が長野県佐久出身の嫁を貰った。今長野市に家を建てて暮らしている。その実家へ顔をだすと、鯉を振る舞ってくれるそうだ。佐久も鯉料理が有名。毎回で閉口とのこと。

 その昔、家内の親が辰野の実家へ来た。母親が張り切って鯉のうま煮を振る舞った。美味しいと云って一口手を付けただけ。まあ無理もない。食べ慣れていない。町内会旅行で会津地方へ行った。会津も鯉を食べるようだ。旅館でも鯉のうま煮が出た。皆さん手を付けず、私の処へ持ってきた。美味しいのねえ。内臓も美味しい。

鰻の味

  • 2020年05月15日

 この稿では何度か書いている。秋刀魚の味ならぬ鰻の味。実家にある鰻料理「小佐加」 小さいころからその店の鰻を食べていたので、その味が記憶に残っている。なので、他所でわざわざ鰻を食べたいとは思わない。鰻メインで鰻屋へは、、、何年か前、神楽坂で食べたかな。清水の舞台から飛び降りる気持ちだった。でも出来立ては美味い。でも、でも辰野の味と違うんだなあ。

 先ごろどうしても食べたくなり、電話してお取り寄せ。そこで値段を聴いてびっくり。安くないんだなあ。実家へ帰ると当然のようにそこの鰻を用意してくれる。お盆等の帰省で実家の家族が増える。懐かしいと云いながらパクパク食べていた。ということは、、、反省。

 電話したら、次の日届いた。振込用紙も入っていた。美味いなあ。そして値段を見て、もっと実家に感謝しないといけないと感じた次第。