寄席文字看板の由来
当院の看板は寄席文字で出来ております。筆者は橘流寄席文字家元橘右近門下の総領弟子でもある橘左近です。新宿末広亭の寄席文字を書いています。落語家系図研究の第一人者でもあり、また日本テレビの笑点看板、テロップも左近の筆です。人気カレンダー笑点暦の作者です。横浜外人墓地に眠っている初代快楽亭ブラックの石柱も左近の筆です。
「矢島歯科医院」の看板と「本日休診」の板は寄席文字で書かれています。表札は江戸文字です。開業当初、珍しいということで、下野新聞の記者が取材に来ました。私もいっしょに新聞に載りましたが、写真は「本日休診」でした。トホホ。
左近とはひょんなことから知り合うようになりました。高校時代、先輩に落語関係者がいると担任から聞かされました。当時はその方が誰なのかわかりませんでした。上京し神楽坂に下宿をしました。高校の落語研究会の後輩が埼玉大学落語研究会に入り、そこの部員たちが寄席文字を習っているという話を聞きました。私も興味があり、その会場を教えてもらいました。場所は御徒町駅徒歩5分のところにある、画材屋金華堂の3階です。毎月第三日曜日に開催していました。教えているのは、橘流寄席文字家元の橘右近、総領弟子の橘左近、その他大勢の門弟たちが来ていました。12月に、弟子たちが師匠方に年賀状を出そうということで、黒板に師匠方の住所を書き出しました。私も写して、年賀状を出しました。新年会の時、左近が私のところにやってきて、「矢島君って誰」と聞いてきました。私は実家の住所を書いて年賀状を出したので、それをみて出身高校を聞いてきたのです。高校の大先輩ということがわかりました。点と点が結ばれたわけです。普段はとても口を聞くことが出来ない雲上人のような存在でしたが、それからは親しくさせて頂き、私の在京時代、左近の歯科治療をずっとしていました。結婚式にも来て頂き祝辞を頂戴しました。寄席矢島亭で左近を呼んだ時、開演前に久々に歯の治療をしたことを覚えています。
実家近くの親戚の者が、高校時代、左近とクラスメートということがわかりました。きっかけは同級会で左近が、辰野出身の知り合いがいるが、知っているかということからです。苗字が同じなのでまさかと思ったそうです。出身の飯田では「おいでなんしょ寄席」を企画構成しており、先ごろは「春風亭柳昇七回忌追悼興行」を開催しました。出演者は当寄席にも出演したことのある、昔昔亭桃太郎、春風亭昇太等です。この時、拙宅の兄が聴きに行き、楽屋へも顔を出し、桃太郎と会って来たと話してくれました。そばにいた左近には気が付かなかったようで、後日左近から連絡が入りました。