ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
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    栃木県那須塩原市大原間403-6
    那須塩原駅東口徒歩3分
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寄席矢島亭の歩み

寄席矢島亭私と落語とのかかわりは若くして亡くなった親父の影響かもしれない。歯医者であった親父は仕事を終え、夜遅くまで技工をやっていた。小さい頃、よく仕事場 へ行って、親父がいつも聴いているラジオに耳を傾けていた。当時は落語全盛で、知らぬ間に耳が慣れてしまった感がある。親父からのDNAは、手先の器用さ ではなく落語だったかもしれない。

長野県伊那北高校へ進学して、当時流行していた落語研究会に入った。その時の先輩後輩たちは、今でも鉄の結束があり、都内で、または母校のある伊 那で年に数回会っている。仲間たちは、いまでは全員真っ当な仕事についているが、やはり落語とは縁が切れないようである。先ごろ、都内の製薬会社に勤務し ているある先輩は、久々に時間が空いたということで、平日の昼間、昼夜入れ替えなしの新宿末廣亭に、9時間もいたと連絡が入った。我々仲間内ではよっぽど 家に帰りたくない事情があったのかと邪推しているところである。

大学では落語研究会を立ち上げ、神楽坂毘沙門ホールで定期的に落語会を開催した。当時、よく聴きに来ていた学生たちの中には、今では母校の教員に なっている者が多く、一番迷惑を被っているのが、在学中の子供であった。その連中に有ること無いこと聞かされ、親父の権威が益々落ちている。

社会人になってからは、母子家庭で育ててもらった母親から、もう馬鹿なことはよせと言われ、もっぱら落語を聴くことに専念した。あるとき、治療台 に寝ている地元婦人会の会長さんから、学生時代落語をやっていたそうなので、今度の敬老会の日に披露してくれないかと頼まれた。10数年ぶりに血が騒ぎ、 二つ返事で引き受けてしまった。国家試験の内容はすぐ忘れてしまったが、自転車や水泳と同じで、落語はすぐ思い出せた。ところが、いざ本番当日、全く笑っ てくれなかった。相手がたまたまお年寄りということで、受けないのは客が悪いからだと、この性格は学生時代と全く変っていない。

その後、チラホラと落語を頼まれ、高齢者学級、公民館、小中学校等で披露するようになった。しかし、その時は夢中だが、何か物足りない。

落語好きが高じてくると、二つのタイプに分かれる。ひとつは弟子になり、プロになる。もうひとつは、人前で落語を演じたくなるということだ。いわ ゆる天狗連。これが一番たちが悪い。地元栃木県には天狗連が多く、皆さん上手だが、噺に夢中になると、栃木訛りの江戸っ子になり、聴くに堪えない。でも地 元の客はそれが標準語なのだからわからないだろう。私も人のことは言えない。ある時から落語は素人が演じるより、プロの落語を聴くのに限ると思えて来た。 都内の寄席や地方で開かれる落語会をよく聴きに行った。当時私はまだ若かったので、遠くの場所までよく出かけた。今はもうその気力がない。本来、落語とい うのは気楽に聴くもんだといつも思っていた。その昔は各町内に一軒ずつ寄席があったそうだ。だったらご近所で聴けたらいいなあと思い、よしそれなら自分の 家で開こうとトンデモナイ企画を思いついた。

ちょうど、子供が大きくなり自分の部屋がほしいと言い出したので猫の額ほどの土地に増築することにした。2階部分を子供部屋、1階部分を和室にし て、そこで自宅寄席を開こうと考えた。元々あった部屋の押し入れをぶち抜いて、その部屋から増築した和室まで出入り出来るようにした。楽屋と和室を繋げた わけだ。天井にスポットライトまで付けて、平成7年3月に完成。卓上机を置いて高座の出来上がり。近所から座布団をいっぱい借りてきて、ちょうど40枚敷 くことが出来た。定員は40名に決定。さて落語会の名前は何にしよう。その頃、イラストレーターの山藤章二氏が席亭として、紀伊国屋ホールで落語会を開い ていた。「寄席山藤亭」。そうだ、自宅で開くのだから、「寄席矢島亭」。正真正銘のパクリ。そして記念すべき第1回目の出演者は誰にしよう。私は興行師で はないので、落語家とのツテは皆無。個人的にお付き合いをしている若手の落語家はいたが、単なる飲み友達で、第一、素人が落語家を呼ぶなんてことは不可能 と思っていた。



三遊亭圓窓その時の新聞記事平成6年に宇都宮で三遊亭円窓の落語会があった。入場者に当時「まるまど」という円窓の出しているミニコミ紙が配られた。そこに落語に関する疑問 質問にお答えしますというコーナーがあり、自宅住所と電話番号が載っていた。わからないことがあったので、手紙を出したところ、すぐ返事が来た。それから 何度か、ファックス等のやり取りのあと、お互い、一度会わないかということになり、都内の店で会うことになった。そこで、落語に対する思いをぶつけたとこ ろ、丁寧に答えてくれた。そんなことがあり、こけら落としは大物落語家三遊亭円窓に声をかけることにした。はたして東京から拙宅まで来て、たった40人の 客の前で落語をやってくれるのかしら。出演料は、、、もう当たって砕けろと手紙を出したらOKとの返事。それが平成7年6月4日(日)のことであった。近 所の方たちに声をかけたら集まってくれた。当日、那須塩原駅改札で、本当にやって来たんですねと言ったことを今でも覚えている。演者の息遣いまで聞こえる 狭い部屋で、有名な円窓の落語が聴けた。最高の贅沢を皆で味わった。大成功。何とかできるという自信がついた。初回は特別興業として、2回目からは二つ目 クラスでやろうと考えていた。ところが落語会をやる時は声をかけてほしいという要望がたくさん出てきた。とても拙宅には入りきらない人数となり、近所で もっとたくさん入る会場を探すことになった。

近所で人が集まる場所と言えば公民館を思い浮かべる。さっそく片っ端から交渉。どこもダメ。要するに金儲けのための施設利用はだめということら しい。儲けは全くなく、持ち出しで完全に赤字と説明はしたが、、、。東小屋公民館の作りが落語会に適しているので、当時の館長さんと交渉したら、やはりダ メ。ところが、だったらウチの寺を使わないかと、、、なななんと館長が法真寺のご住職であったのだ。嬉しかった。他所から来た私は土地感がなく、初めてお 寺の存在も知った。駐車場が広くあったのも幸いした。田舎は駐車場がないとダメなのだ。

三遊亭金時と金八場所は抑えた。さて、第2回目の出演者は誰にしよう。三遊亭金馬とは、学生時代から親交があり、年賀状のやり取りもしていた。ご子息が落語家 で、当時二つ目で三遊亭金時と名乗っていた。金時の結婚式に金馬から招待してもらった。これも何かの縁ということで、金時に声をかけた。



三遊亭小遊三橘左近-春風亭小柳枝三遊亭小遊三も来たことがある。橘流寄席文字家元橘右近の13回忌のパーティに出席したところ、小遊三がいた。さっそく交渉。ところが、事務所 を通してくれと言われた。その事務所の社長が、学生時代、橘流寄席文字勉強会で、我々学生に指導をしていた弟子の一人で橘右橘であった。今では大有企画と いうプロダクションの社長。そんな関係でコンタクト。後述するが橘左近の推薦で春風亭小柳枝は着物姿で新幹線に乗ってやって来た。普段寄席に出演すると 待ってましたと声がかかる落語家である。



三遊亭金馬話は前後するが、昭和48年に上京して、新宿区神楽坂に下宿をした。近くに毘沙門天があり、その地下ホールで三遊亭金馬を中心に毎月落語会を開 いていた。初めて行ったのは、その年の5月5日。早く行っていい席をとろうと、開演40分前に会場内に入ったら、客は誰もいなくて、テレビで見たことのあ る三遊亭金馬が、客席で壊れたプラグを修理していた。話しかけたら、どうも私が入門志願者と思ったらしく、さかんに落語家の厳しい現状を話してくれた。第 一印象は全く普通のおじさん。その時、開演準備をしていたのが、当時、前座の勝馬(現三遊亭小金馬)。大学文化祭で落語家を呼ぶことになった。『民俗芸能 を守る会』という芸能プロダクションを紹介してもらい交渉。推薦された落語家は古今亭圓菊、柳家小勇、そして偶然にも二つ目に成りたての三遊亭勝馬だった。毘沙門寄席で改めて挨拶。毎月毘沙門寄席に顔を出すようになり、金馬や勝馬に名前を覚えられた。大学文化祭でのエピソード。呼んだ落語家は3人だが、やって来たのは二人だけ。圓菊が大学を間違えて別の大学へ行ってしまった。圓菊をずっと待っていたが、他の行事もあったので、文化祭の落語会は途中で中止 にした。そこへ遅れてやって来て、結局そのまま帰ってもらった。

金馬とは、大学卒業時に一日だけカバン持ちをしたことがある。落語協会の納会にいっしょに出席し、三遊亭円歌の車で、浅草演芸ホールまで連れて 行ってもらった。また金馬は私が住んでいた神楽坂とも縁が深く、神楽坂タウン誌に寄稿し、その中に私のことを書いていた。毘沙門寄席によく聴きに来た歯科 大生がいた。今では、那須塩原市で落語会を主宰し、私を始め、弟子たちが世話になっていると書いてあった。そのタウン誌のことを金馬の弟子から連絡をもらい、神楽坂の書店で手に入れた。読んでみて驚いた。私の出身大学まで書いてあったが、見事な間違い。神楽坂にいると、自然とそこの歯科大学と思うのかしら。



三遊亭小金馬昔昔亭桃太郎林家正蔵さて、話を元に戻す。私が大学の助手に採用されたとき、初任給で毘沙門寄席が終わった後、金馬の弟子の勝馬(現小金馬)と飲んだことがある。真打 昇進披露の会にも呼んで頂いたことがある。金馬も小金馬も当寄席ではお馴染み。金馬一門(金八、金也等)には当寄席も出演して頂いた。金馬からは、金婚式 や、叙勲の祝賀会に呼んでもらった。テレビで見る芸能人や、時の首相まで出席した。今でも一門のパーティ等にお声をかけてもらっている。ある時、同じ毘沙 門寄席で、春風亭柳昇の代演で、弟子で当時二つ目の春風亭とん橋(現昔昔亭桃太郎)が出演した。一度しか聴かなかったが、忘れられない強烈な個性。10年 ほど前、黒磯市内の割烹で開催した落語会に昔昔亭桃太郎が出演。30年ぶりに見た。初めて見た時と全く変わっていない。黒磯市内の旅館にたまに逗留すると か。私より黒磯を知っていた。私と同じ長野県出身で、普段でもお付き合いがある。林家正蔵を襲名したとき、出演依頼をした。本人から連絡があり、日程が会 わず、一年後にまた出演依頼。正蔵も覚えていて、暮の忙しい時期に出演。当地へ来ても分刻み。その後、脱税で有名になったが、当寄席とは関係なし。



春風亭昇太春風亭 昇太は手紙を書いても返事がなかったので、直接電話をしたら、本人が出てそこで出演交渉。昔昔亭桃太郎の弟弟子。出演後、笑点レギュラーが決まった。

 



柳亭市馬柳亭 市馬。歌手協会にも入っているプロ歌手でもある。剣道三段。全くの下戸。メールで交渉。その後、新宿末広亭近くの喫茶店で打ち合わせ。九州男児。人徳から か108人抜きで落語協会副会長に抜擢された。



橘家圓太郎橘家円太郎、大学の後輩から、高校の後輩ということで、飲み会に誘ってもらい、出演交渉。小朝の一番弟子で もある。

 



春風亭一朝。NHK時代劇の江戸ことば指導でテロップに名前が載る。口調がすばらしく、いかにも江戸っ子という話し方。小金馬真打昇進パーティで 隣の席。その時から注目していた。



三遊亭歌之介三遊亭歌之介、ある歯科医学会で笑いの効用というスライドのなかに落語家が映っていた。さっそく演者に聞いて、歌之介の 存在を知った。本人から自作の落語テープを送ってもらった。これがすごい鹿児島訛りであったが、大爆笑。



林家たい平林家たい平、落語家になる決心は、駅前の大吉屋文具店であった。学生時代、那須塩原駅から雲岩寺まで歩こうと思い道を聞いた。びっくりして朝食を食べさせ、その上目的地まで送ってもらったとか。今でもその恩は忘れないとか。



笑福亭鶴光笑福亭鶴光、深夜放送では下ネタ専門の感があるが、それは昔の話。上方では唯一、落語芸術協会にも属しており、都内の寄席で聴くこと が出来る。ある独演会を聴きに行った時、助演として出演。主役を食ってしまった。交通費の関係上、都内の寄席に出演するときに当地まで来てもらった。



鈴々舎馬風30周年記念手ぬぐい々舎馬風、落語協会会長でもある超大物。30回記念ということで招聘。体格同様、太っ腹で逆に気を使ってもらった。その時に、法真寺ご住職様自筆の記念の手ぬぐいを作り、お客様にお配りした。

 



柳家三三柳家三三、都内での独演会のチケット即日完売の若手実力派。郡山落語愛好会主催の落語会で聴き声をかけた。

 



桂南喬桂南喬、平 成21年度昭和大学落語名人会に出演したとき、「河豚鍋」を演じた。あまりのおもしろさに当寄席でも同じネタをリクエスト。

 



三遊亭鳳楽三遊亭鳳楽、先代圓楽の総領弟 子。平成22年度昭和大学落語名人会のトリ。帰りの電車内で偶然遭遇。これも何かの縁だろう。大師匠三遊亭圓生の名前を継ぐかどうかでマスコミをにぎわしている。



川柳川柳川柳つくし川柳川柳、御歳81歳、お元気でもあり、いい声で歌う。ノドがいいのは親に感謝といっていた。定番大ガーコンでは高座の上に立って脱穀機のマネ。打ち上げでは、焼酎が薄いと言って自分で作っていた。それを弟子の女流落語家、川柳つくしが止めていた。着物姿がきれい。自分は介護弟子だと言っていた。



楽亭ブラック快楽亭ブラック 立川談志直門、真打昇進後フリーとなり、他の落語家が出来ないような過激な表現で人気を博す。古典落語も得意で数々の賞を受賞。当寄席では過激ネタを封印。大手CDショップへ行けばブラックの過激ネタがある。歌舞伎にも精通しており、関連本も上梓。



古今亭菊之丞三遊亭美るく古今亭菊之丞 古今亭円菊門下。本寸法の芸 さすが幾つも賞をもらっている。先ごろNHK人気女子アナと結婚した。歌舞伎俳優みたいな顔をしてナヨッとした体形だが、酒は強い。さすが円菊一門。三遊亭美るく 三遊亭歌るた門下 女性落語家にありがちなアニメっぽい口調ではなく、しっかりとした落語口調。普段の恰好はギャルそのもの。



柳家さん光柳家権太楼40週年記念手ぬぐい柳家権太楼 先ごろ落語協会監事という大役についたばかり。今までの落語家は新幹線で4時半に那須塩原駅に到着する。権太楼は弟子さん光運転の車でやってきた。時間通りピッタリに拙宅着。何時ごろ家を出たのかと聞いたら早く着きすぎて温泉に入って来たとの事。温泉、ゴルフが大好きでプライベートで当地へはよく遊びで来ているらしい。柳家さん光 昨年二つ目に昇進。前座名おじさん。インパクトのある名前で楽屋の師匠がたにすぐ名前を覚えられたそうだ。入門前は10年くらい介護関係の仕事。遅く入門したので、おじさんという名前がぴったり。今回40回目という節目を記念して御来場したお客様全員に特製手拭いをお配りした。デザインは新宿末廣亭の寄席文字、笑点カレンダーなどでお馴染みの橘左近師匠。当寄席にも出演したことがある。



林家つる子柳家さん喬 柳家さん喬 平成の大看板と呼ばれている一人。情景描写が秀逸で聴いているだけで目に浮かんでくる。語り口もソフト。日本語を学ぶ留学生に落語や小噺を手ほどきしてきた活動が認められ国際交流基金賞を受賞した。また先ごろは浅草演芸大賞奨励賞も受賞。
林家つる子 林家正蔵門下の前座。今は前座会長をやっており、11月から二つ目昇進とのこと。

 

IMGP5199-1 IMGP5142-1一龍齋貞水 ご存知人間国宝。今年は高座生活60年で全国で公演中。じっくりと1時間の長講。家は湯島男坂下にある「酒席太郎」一階で奥さんが居酒屋をやっている。「吉田類の酒場放浪記」でも取り上げられた店。一龍齋貞友 今一番テレビに出演している人気声優でもある。ちびまる子ちゃんのお母さんの声役。無意識にけっこうどこかで聞いている声。

 

柳家小さん柳家小さん 当代小さんはひょうひょうとした芸。先代は先代、当代は当代とのこと。あるお客様は後味のよい落語会だったと評価してくれた。じゃあ今までの落語会は何だったんだと突っ込みを入れたくなるが、、、数人のお客様からまた呼んでほしいとリクエスト。先代小さんを筆頭に、甥っ子の柳家花録、立川談志、柳家小三治等、話題に事欠かない一門だ。

 

五街道雲助
五街道雲助 半年前にオファー。落語会のある月に紫綬褒章受章。グッドタイミング。それを想定して呼んだわけではない。拙宅へ来た時、あまりにも身軽な荷物だったので、家人が驚いていた。変わった名前なので正直知名度が低いと思っていた。発売当初チケットの出足が悪く、心配したが最後は想定外のお客様に集まって頂いた。余分に印刷したパンフレットが間に合わなくなりそうだった。さすが寄席矢島亭に集まるお客様だ。レベルが高い。

 

瀧川鯉昇 恒例の質問コーナーでは、5月は鯉だけに忙しいのかと、、、普通と答えていた。サービス精神満点で、いろんな質問に笑いを交えて答えていた。拙宅での打ち上げでも話が尽きず、帰りの電車の時間ギリギリまで居た。お酒もよく飲むが、ほとんど箸を付けない。兄弟子桃太郎が心配するわけだ。支離滅裂な最初の師匠の弟子になり、楽屋の芸人たちが心配したとのこと。その分、大師匠たちにかわいがってもらったとか。苦労人らしく人当りがいい。

 

立川談幸 内弟子生活5年。師匠談志と寝食を共にした今では珍しい落語家。江戸っ子らしい口調で言葉がはっきりしている。落語立川流から落語芸術協会の先ごろ移籍し、ますます活動の場を広げている。父親は警察官とか。その昔、学生時代のこと、御徒町の金華堂やっていた橘流寄席文字教室でいっしょに勉強した仲間。その後、談幸は明治大学を卒業し、落語家になり、私は歯科医師になった。二つ目の立川幸之進 師匠談幸といっしょに落語芸術協会へ移籍し、前座からやりなおした。身体が大きい割に、よく動き、気配りが出来る。当寄席へやってきた弟子の中でもトップクラスだろう。

 

柳家喬太郎柳家喬太郎 2年前からオファーをかけた。当寄席出演前に、劇団こまつ座で「たいこどんどん」の公演を10日間やっていた。携帯では何度か話したが、初対面。那須塩原駅改札で現れない。気が付いたら帽子を被り、どこかのおっさんみたいな恰好ですぐ近くに立っていた。人気者だけに素顔では来づらいだろう。質問コーナーでは文春の川柳のらりくらりの楽屋話をしてくれた。今、注目されている某大学の元監督に似ていると自虐ネタ。

 



林家二楽紙切り林家二楽、紙切り先代林家正楽の次男。拙宅で「歯科医院」を切ってもらった。下書きも何もなくその場で切ったのには驚いた。日向ひまわり、前座勉強会として拙宅で落語会を開いた。



日向ひまわり講談で神田山陽の弟子。神田ひまわりと名乗っていたが、真打ちになって日向になった。気配りがよく出来、春風亭柳昇、桂 文治にかわいがられた。当寄席でも感じた。

 



鏡味正二郎鏡味正二郎、かがみせいじろうと読む。鏡味繁二郎に入門するが、その前は国立太神楽養成所。太神楽曲芸の師匠に 入門してから覚えると思ったが、そういった学校を初めて知った。



橘左近と春風亭小柳枝橘左近 寄席文字実演橘左近は橘流寄席文字一門の筆頭弟子。高校時代、クラス担任から先輩に寄席関係者いると聞かされていたが、それが誰だかわからなかった。昭和50 年の年度末、寄席文字勉強会に出席したところ、師匠方に年賀状を出そうと弟子たちが黒板に住所を書いた。私は実家の長野県上伊那郡辰野町の住所を書いて、 右近や左近師匠方に出した。新年会の時、左近が私のところへやってきて、私の住所から出身校を聞いてきた。なんと高校の大先輩ということがわかった。普段 はとても話が出来ない雲上人だが、それから親しくさせて頂いた。笑点カレンダーの作者でもあり、新宿末広亭の寄席文字を書いている。拙宅の看板も橘左近作 である。大田原市佐久山に知り合いがいると聞き驚いた。その縁でお客様を紹介して頂いた。当寄席にも来演して寄席文字の実演。



あした順子・ひろしあした順子・ひろし、個人の 寄席ではまず不可能と思っていた。鈴々舎馬風一門でもあり、鈴々舎馬風出演後の打ち上げの時、馬風の鶴の一声で出演決定。順子先生は普段も冗談ばかり言っ ている。ひろし先生は寡黙。当時は89歳。高座に上がると元気になる。ビデオ業者から頼まれ、その時の漫才を「米寿漫才」としてDVDにて発売中。

悠玄亭玉八悠玄亭玉八、天然記念物トキよりも生息数が少ないといわれている幇間(たいこもち)。お座敷ショーと銘打ってお寺で披露。粋曲漫談、声色、声帯模写、十八番の屏風を使ったお座敷芸等々。めったに体験できない芸をノンアルコールで観賞。

 

私流落語会の目的は、笑いの共有。何でもありのおもしろければいいのです。難しい講釈は演芸評論家に任せて、ただ笑おう。それだけです。笑いは健康に結びつきます。一怒一老一笑一生といいます。それと当寄席は一回一回が勝負なので、気力、体力、財力が続くまで開く予定。

そこでお願いがあります。落語会を開いてみませんか。ちょっとした勇気と場所さえ用意すれば、落語家はやってきます。お寿司屋さんでも、そば屋さ んでも、敬老会、何かの集まりにでも。少ない人数でもいいのです。やり方次第。予算が気になると思いますが、私にご相談下さい。なお、仲介料として半分は 私が、、、ということは絶対ありませんのでご安心下さい。他所の落語会も手伝わせて頂いております。ちょっと宣伝。

いままで続けられた要因のひとつに事故がなかったということ。これはお客様のご協力のたまものです。落語家が新幹線に乗り間違えて、那須塩原を止まらず、仙台まで行って引き返し、開演時間が1時間遅れたことがありました。暴動も起きずお客様はじっと待っていました。

会場等で毎回大変お世話になっており、恩人でもある法真寺様ご住職ご家族様感謝しております。チケットを取り扱っている大吉屋文具店様、急ぎのパ ンフレット等の作成ばかりですみません。那須町でチケットの取り扱いをしている義兄のますやパン店様。差し入れありがとうございます。また私のところで働 いている従業員のお姉ちゃん達。本業以外にも手伝ってもらい感謝。照れますが、私の家族にも感謝。そして毎回、私の道楽に付き合わせ、その上散在までかけさせているお客様方にもこの場を借りてお礼申し上げる次第であります。

*第30回記念寄席矢島亭です。落語協会会長鈴々舎馬風を交えての恒例の質問コーナーです。馬風と前座が答えているところです。前座の後ろに即席の高座があります。今回も130名近いお客様がお集まりになりました。その時に記念にお配りした手ぬぐいです。

質問コーナー

 

 

*第40回記念寄席矢島亭 当寄席の名物質問コーナーでお客様に権太楼が答えているところ。今回も130名近いお客様が集まった。帰りに記念の手拭いをお配りした。 IMGP2196