ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
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箱根山登頂


新宿区戸山、大久保3丁目にかけて戸山公園がある。江戸時代には尾張徳川家下屋敷戸山荘があったとか。明治7(1874)には陸軍用地として戸山学校が置かれ、第二次大戦後は国有地とあり、その一部が昭和29(1954)年に都立戸山公園・箱根山地区として開園した。今では戸山団地として失礼ながらお年を召した方が暮らしている。

 その一角にある箱根山。ちょうど雨が上がった時間。園内はぬかるみ。その箱根山なるものを目指した。

 頂上まで20メートルぐらいの距離。階段を登ろうとしたら上から初老の御婦人が手すりをつかまりながらゆっくり降りてきた。とてもすれ違うようなスペースはない。降りてから上り始めた。頂上には他にも上る道があった。私はオーソドックスな登頂口を利用。

 頂上の景色は失礼ながら何も見えない。建て物ばかり。登頂証明書をさしあげるとのこと。つきましては戸山公園サービスセンターまで来てくださいと云う看板。さて、その場所がわからん。頂上のベンチに地元のお母さん、子ども二組がいて、場所をきいたら、大久保地区にあるとのこと。この場所は戸山地区。私のカンピューターが働きだし、明治通りを渡った早稲田大学理工学部の近くかしらということでさっそく行動開始。先ほどの階段を下った。そこで怖かった経験。後ろから人が迫ってきた。それもどんどん迫ってくる。先ほどの親子かなあ。怖くなり、一段飛ばして降りた。振り向いたらどこかのクソ親父がジョギング途中。あおられるということはそういうことか。雨で滑りやすい階段。そして狭い。追い抜く必要があるのかしら。前に人がいるんならペースを合わせろよ。もし私が焦って滑って転んで怪我でもしたら、当然あおり運転じゃないが、それなりの賠償金を請求するぞ!!

 新宿中央図書館まで行って、チンプンカンプン。戻ろうと思ったが、そこでスマホナビを思い出し、設定。そのまままっすぐあと2分と、、、左に曲がり、プレハブの工事現場の建物が戸山公園サービスセンター。丁寧に職員は対応してくれて記念写真まで取ってくれた。ただ登頂よりもサービスセンター探しで疲れた。

 

 

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中野のライオンの続き


 ずいぶん昔に見たこと聴いたことが頭から離れない。あれは聴き間違いなのか、それとも、、、向田邦子さんは電車の中から飼い主とライオン二人?窓に立っていのを電車の中から見たとの記憶。当時車内から外を見ていたと思われる客たちはいたが誰も反応がなかったとか、、、記憶間違いかなあと、、、ところが20年近く経って、やはり間違いではなかったという話。

 私にもある。40年以上も前、下宿に医科歯科大学に通っていた綺麗な女子学生が居た。彼女が卒業し、大学の医局に残った。次の年、同じ医局に後輩女性が入局。その女性の父親が私の母校の教授とか。何で父親の大学へ行かなかったのかと聞いたら、大学では変わり者で通っており、とても行きづらい。なので医科歯科へ入学したとか。そんなんでは入れちゃうんだから優秀なんだ。

 そのユニークな教授は実際いた。私が教わる学年になった時に、定年退官。だから噂だけ。それより、娘が医科歯科に入学したということが気になった。確かめようがない。誰に聞いたらいいんだろう。ユニークな教授ということは同窓でも噂。しかし娘のことまでは誰も知らない。私の聴き間違いか、、、

 それが40年ぶりにあっけなく解決。栃木県内では毎年県内の歯学部同窓会の集まりがある。たまたま私の隣に座った方が医科歯科出身の同窓会長。恐れながら聴いたら、彼女は同級生とのこと。父親が私の母校の教授ということまで話してくれた。なんだ身近にいたじゃないか、、、

 そのユニークは教授の話は次回、、、

中野のライオン


先頃読んでいる向田邦子のベストエッセイの中のタイトルの一つである。

 1979年の別冊小説新潮春季号書いたエッセイのこと。20年ほど前に中野を通った電車の窓から木造アパートらしき窓からヨレヨレのシャツを来た男性と隣にライオンが顔を出しているのを見たとのこと。驚いたことに、他に電車に乗っていた客も外を見ていたら気が付くはずなのに、誰も騒がない。向田邦子は私の記憶間違いかとずっと悩んでいたとの事。それにしてもあまりにも鮮明な記憶。そんな内容を別冊小説新潮に投稿したところ、5日ぐらい経ってから、電話があり、あのライオンの隣にいたのは私ですと、、、そのあと、その本人とお会いして、ライオンの経緯等と聞いたとのこと。

 不思議な記憶というのがある。わかるなあ、その気持ち。私にもあれは本当だったのかどうかという記憶がある。それについてまたいつか書かせて頂く。でも天邪鬼の私は別な疑問。向田邦子さん宅へその本人から直接電話が来たそうだ。どうしてわかったんだろう。

 先ごろ志村けんが亡くなり、その特集をやった。いかりや長介の家に直接入門願い。それにしても何で大スターの家がわかったんだろう。その昔、けっこう雑誌等に芸能人の住所が載っていたそうだ。向田邦子さんもその口かしら、、、

前を歩く健脚にがっくり


 日が長いので、休みの日のウォーキングは、ラジオ体操前に行う。っていうか、休みの日だと早く目が覚めてしまう。先日の日曜日も早朝5時ごろから歩き出した。普段すれ違う方はいない。日が長いといことは実に気分がいい。得した気分。ただ、たまに前を歩いている方と遭遇することがある。自分のペースで歩きたいのに、どうも前を歩いている方をみるとと、抜かしていいのかどうかと、、、前を歩いている方も後ろからついてこられると気分のいいもんではない。

 この日も前に誰も歩いている人が居なくて、自分のペースで歩いていた。ところが前の路地から一人、私よりも年上らしい方が出てきて歩き出した。気になるなあ。抜いていいのかどうか、、、考え事をしてふと前を見たらいない。レレレ。ずっと前を歩いている。また考え事をして前を見たらもっと離されていた。トホホ。

 人間ドックを受けたとき、問診票に同年齢と比べて歩く速さは遅い、普通、早いという項目があり、毎年早いへ〇をしていた。次回から普通に〇をしようかな。

 以前宇都宮の大通りを歩いていたら、後ろから二人並んでおしゃべりをしながら歩いている女子高生に抜かれた。それも自然に、、、若いとは思ってはいたが、歳相応っていうことかしら、、、

おら、東京さ行くだ


 先日のラジオ体操でのこと。一人寒がりの御婦人が綺麗なコートを着てきた。それを見ていた仲間たちが、いい服着ているね。これから東京へいくの?、、、と。いや、正確の発音すると、「東京へ行くのけ?」ラジオ体操のメンバーは那須塩原駅近くの御老人たち。それは失礼か、、私が一番若い。その上が5歳上かな。

 新幹線に乗ればすぐ東京。新幹線通勤をしている方たちも多い。中には大子から車で那須塩原駅までやってきて、都内へ新幹線通勤。大変だ。

 でも元々地元で暮らしている住民にとって、東京はあこがれの地。私も信州の山奥で育ち、都会に憧れていた。今でも憧れている。東京で暮らしている人たちを羨望の目で見ていた。上京し、大学、そしてしばらく都内で生活。都内に居たときは、今思えば、そんなに出歩かなかったなあ。下宿の周りをウロウロしていたようだ。当地へ越してきて、たまに上京すると、行ったことのないまだまだ魅力的な場所へ足を運ぶ。

 那須高原に国会をと、今でも当地に看板がある。国会は東京でいいなあ。今はコロナで大変な時期。行きたいけど自粛しています。

 なお、その御婦人はコートを脱いで体操。その下はエプロンだった。