ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
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待合室の写真 那須高原 八幡


寄席矢島亭世話人 大吉屋文具店様寄贈です。

ニューモラル №610 令和2年6月号


待合室にご用意してあります。無料配布です。

大学応援団


 毎朝NHKの「エール」を見ている。おもしろい。古関祐二の生涯。字が違うかな。今は早稲田大学応援団のこと。応援団と云えば法政大学応援団を思い出す。在京時代、六大学で法政大学が優勝した。その祝勝パレードで住んでいた神楽坂を通った。法政はすぐ近所。オープンカーには江川卓が載っていた。車の先頭にはでかい応援団旗を持った団長らしきものが歩いていた。その10メートルぐらい前をこれもまた応援団が一人歩いていて、電線があると、団長のところへ走って来て「オス、電線があります」としゃがれた声でイチイチ報告。応援団旗を下げて通過。当時、見ていて、いちいち報告しなくてもわかるのに、、、と思っていたが、今思えば、安全策でよかったかも。昔、地元のバスへ乗った時、車掌さんも乗っていて、踏切を渡るとき、先に下りて、渡ってからまた乗った場面を思い出したっけ。

 その昔「ああ、花の応援団」というギャグ漫画があった。面白くてよく読んだ。その中の一つの場面。テレビに芸能人水泳大会があり、それを見ていた団長が好きな芸能人が出てるということで、団員に応援しろと、、、、団員達はテレビの前で応援。その芸能人が負けてしまった。そしたら応援が足りないからだと、ぶん殴っていた。どうもそういうイメージが応援団にあった。さすが今はないと思うが、、、

鯉のうま煮


 鯉の甘露煮ともいう。先日実家近くの鰻屋から「鯉のうま煮」を鰻といっしょに送ってもらった。鯉のうま煮は懐かしい。実家ではお祭りのとき、鯉のうま煮を振る舞った。母親は生きた鯉を仕入れて、台所で鯉の脳天を包丁で叩き、気絶させて輪切りにして煮た。内臓はそのまま、ウロコもそのまま。親戚へ行っても何かの目出度いときには鯉のうま煮を振る舞った。そうそう、地元の結婚式では定番料理。

 長女が生まれたとき、鯉のうま煮を食べると母乳が出るということで、実家の親戚がたくさん送ってくれた。東京に居た時だ。家内は栃木人。鯉は苦手とのこと。しょうがないから私が全部平らげた。何だか私の胸が膨らんできたようだ。

 栃木に住むようになり、鯉の話をしたら、どうも栃木人は鯉が苦手。ご近所の方の息子が長野県佐久出身の嫁を貰った。今長野市に家を建てて暮らしている。その実家へ顔をだすと、鯉を振る舞ってくれるそうだ。佐久も鯉料理が有名。毎回で閉口とのこと。

 その昔、家内の親が辰野の実家へ来た。母親が張り切って鯉のうま煮を振る舞った。美味しいと云って一口手を付けただけ。まあ無理もない。食べ慣れていない。町内会旅行で会津地方へ行った。会津も鯉を食べるようだ。旅館でも鯉のうま煮が出た。皆さん手を付けず、私の処へ持ってきた。美味しいのねえ。内臓も美味しい。

鰻の味


 この稿では何度か書いている。秋刀魚の味ならぬ鰻の味。実家にある鰻料理「小佐加」 小さいころからその店の鰻を食べていたので、その味が記憶に残っている。なので、他所でわざわざ鰻を食べたいとは思わない。鰻メインで鰻屋へは、、、何年か前、神楽坂で食べたかな。清水の舞台から飛び降りる気持ちだった。でも出来立ては美味い。でも、でも辰野の味と違うんだなあ。

 先ごろどうしても食べたくなり、電話してお取り寄せ。そこで値段を聴いてびっくり。安くないんだなあ。実家へ帰ると当然のようにそこの鰻を用意してくれる。お盆等の帰省で実家の家族が増える。懐かしいと云いながらパクパク食べていた。ということは、、、反省。

 電話したら、次の日届いた。振込用紙も入っていた。美味いなあ。そして値段を見て、もっと実家に感謝しないといけないと感じた次第。

似ているぞ!外出解除とリテーナー


 リテーナーとは矯正終了後、後戻りをしないようにまた口に中に入れる入歯みたいなもの。

 何のことかというと、数年かけてお金もかけてやっと綺麗な歯並び完成。そこで治療は終わりでない。歯並びはその悪い歯並びを脳が覚えていて、完成しても元に戻そうという力が働く。そこで歯並びを固めるために入歯みたいなものをいれる。それも1年から数年入れていないと、、、それがいやで外している御仁を見かける。我慢のしどころ。

 外出解除と似ているところがある。自由に外出できると思っても、そこでまたしばらく我慢しないと、、、油断大敵。お隣の国もいいところまで終息したが、外出解除となったらまた感染者が増えた。対岸の火事ではない。

上田馬の助の思い出


 ユーチューブを見ていたら、上田馬の助のことが載っていた。金髪狼と云われ、リングより場外乱闘が多かったような記憶がある。弱いのか強いのか、、、本物を見たのは30年以上も前、京王プラザホテルで同級会があり、終わってロビーに下りてきたら、タイガージェット・シンと上田馬の助二人がいた。タイガージェット・シンは笑っていたなあ。

 その昔、プロレス番組を見ていた時、上田馬の助が放送席へやってきて、猪木とネイルマッチをやりたいと、、、社長の新間氏が危ないからダメだと云ったら、私はやりたいんだ、、、その私といういい方が妙に記憶に残った。あの悪役が、、、そうそう、ネイルマッチの意味だが、ベニヤ板に釘をいっぱい打って、リング下へ並べて置く。もちろん落ちれば大ケガ。後日猪木との試合はハラハラさせながら結局予想通り、リング上で決着。どうやって猪木が勝ったのかイマイチ記憶にないなあ。

 そのユーチューブに上田馬の助の闘病生活が載っていた。インタビューをしても言葉づかいは丁寧。私という表現を使っていた。そうか当時悪役でも、思わず普段の言葉が出てしまうんだなあ。近所の学校へ招かれて講演もやっていた。とにかくやさしい言葉遣い。奥様が献身的に介護。

 上田馬の助は交通事故に遭い、首から下がマヒしている。その交通事故だが、選手一同が会社のバスに乗るが、悪役が同じバスだとマズイという訳で、上田たちは別の車に乗って、バスの跡を追っかけていたそうだ。そこへトラック?が突っ込み重傷を負ったというわけ。長い闘病生活の跡、黄泉の国へと旅立った。思い出に残るレスラー。

 

ソース瓶が詰まっているよ!!


 先頃、NHKで逆転の人生?なるドキュメンタリー?が放送された。内容はとんかつ屋を新規オープンしたが、客が入らず5000万円の借金。あるとき、福井県で大雪が降り、車が立ち往生。それを知って無意識にSNSに「頑張れ、福井県民の方には半額にします」と投稿したら、それを見た人たちが拡散していって、客が多く訪れたとか、、、御主人も誠実そう。また子ども時代に食べ物で苦労したので、お返しに無料の「子ども食堂」なるものを作ったそうだ。それを知った客たちが、自分たちが食べて応援しようと、、、それも拡散されて客足が順調に増えたそうだ。

 店内も紹介された。そのときソース瓶も綺麗にしているとコメント。そんなことは当たり前と思っていたが、そうではない店を思い出した。

 夜9時まで営業という地元のチョイスの食堂。8時半ごろ行った。店には客が他に二組。何を頼んだのが忘れたが、ソースをかけようとしたら、テーブルにソースがない。端のテーブルに全部片つけてあった。ソースを取りに行ってかけたら詰まっていた。二つ目を取りに行ったら、それも詰まっていた。三つ目でやっとソースが出た。煮詰まった味噌汁。店員のおばさんたちは終了時間に来やがってと云うような顔をしていた。考えすぎかな。ところでなにも抵抗なく、このソース瓶を明日テーブルに並べるのかしら、、、

 先ごろ側を通ったら店の名前が替わっていた。