上田馬の助の思い出
- 2020年05月02日
- ごじゃっぺ高座
ユーチューブを見ていたら、上田馬の助のことが載っていた。金髪狼と云われ、リングより場外乱闘が多かったような記憶がある。弱いのか強いのか、、、本物を見たのは30年以上も前、京王プラザホテルで同級会があり、終わってロビーに下りてきたら、タイガージェット・シンと上田馬の助二人がいた。タイガージェット・シンは笑っていたなあ。
その昔、プロレス番組を見ていた時、上田馬の助が放送席へやってきて、猪木とネイルマッチをやりたいと、、、社長の新間氏が危ないからダメだと云ったら、私はやりたいんだ、、、その私といういい方が妙に記憶に残った。あの悪役が、、、そうそう、ネイルマッチの意味だが、ベニヤ板に釘をいっぱい打って、リング下へ並べて置く。もちろん落ちれば大ケガ。後日猪木との試合はハラハラさせながら結局予想通り、リング上で決着。どうやって猪木が勝ったのかイマイチ記憶にないなあ。
そのユーチューブに上田馬の助の闘病生活が載っていた。インタビューをしても言葉づかいは丁寧。私という表現を使っていた。そうか当時悪役でも、思わず普段の言葉が出てしまうんだなあ。近所の学校へ招かれて講演もやっていた。とにかくやさしい言葉遣い。奥様が献身的に介護。
上田馬の助は交通事故に遭い、首から下がマヒしている。その交通事故だが、選手一同が会社のバスに乗るが、悪役が同じバスだとマズイという訳で、上田たちは別の車に乗って、バスの跡を追っかけていたそうだ。そこへトラック?が突っ込み重傷を負ったというわけ。長い闘病生活の跡、黄泉の国へと旅立った。思い出に残るレスラー。
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