ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
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日別 記事一覧

待合室の手拭い 三遊亭小金馬


 初めて落語家と言葉を交わしたのは、読売新聞で現在連載している三遊亭金馬。高校を卒業し、神楽坂へ下宿した。その通りに毘沙門天があり、その地下ホールで毎月落語会を開いていた。初めて行った落語会は「創作落語会」 メンバーは決まっていて、三平、円歌、米丸、柳昇、そして三遊亭金馬。早く行きすぎて、会場内に入ったら客は誰もいなくて、金馬がソケットを修理していた。思い切って話しかけたら普通のおじさん。当時44歳。お笑い三人組のスーパースター。それからもうどのくらいの付き合いだろう。拙宅へも来たし、金馬夫妻の還暦パーティ等、けっこうお声を掛けてもらっている。

 さて、初めて金馬に会ったとき、側で働いていたのが、当時前座の勝馬、現小金馬である。その後二つ目に昇進。大学文化祭で落語家を呼ぶことになった。芸能プロダクション「民俗芸能を守る会」を知っている方がいて、そこへ実行委員の先輩と私と二人で訪ねた。そこで紹介された落語家は円菊、小勇、そして二つ目の勝馬。文化祭へ来る前に毘沙門天寄席で勝馬に会うことにした。受付の金馬夫人に言って楽屋へ行った。勝馬は舞台そでで師匠方の落語を聴いていた。初めて挨拶。

 大学を卒業し、助手に採用された。初任給を持って、毘沙門寄席へ行き、終わってから勝馬に恐る恐る声を掛けた。すぐOK。近所の居酒屋「もきち」でおごちそうをした。落語界の知られざる話をたくさん聞いた。その後、二人でチョクチョク飲むようになり、新橋第一ホテルでの真打昇進パーティにも呼んでもらった。

 拙宅の寄席にも何度か来演しているが、一番最初に来たのは、当地の夏祭り。主催者が落語家を呼びたいということで、人選を頼まれた。小金馬に頼んだ。ただ、夏祭りの最中、私は実家へ帰っていて会えなかった。

 鈴本演芸場ではよくトリを取っていた。今は体調を崩して療養中とか。早く復帰してほしい。近頃弟子の金翔が真打に昇進した。

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「待合室の写真」   焼盛山の三椏(茂木町) 2016.3.27


寄席矢島亭世話人 大吉屋文具店様寄贈

5月28日(土) 寄席矢島亭

柳家小さん独演会

場所:那須塩原市 東小屋 法真寺

開演:6時

木戸銭:2500円

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京都 神馬

 太田和彦さんの番組「いい旅、いい酒、いい肴」で紹介された店。京都旅行のついてに寄った。京都では老舗とのこと。市役所近くのホテルからタクシーで行った。有名な店ですぐ行けるかと思ったらベテランドライバーらしき運転手がわからず、家でプリントアウトした地図を見せた。西陣織の近くとか。

 予約しておいたのですんなり入れた。先ごろまた上記の番組の再放送があった。私達が行ったときは3代目の若旦那が番組ロケの話をしてくれた。2代目はカウンターの奥に座っていたなあ。番組収録のときは元気そうだったが、、、今はどうだろう。

 日本酒は8種類混ぜてつくるとか、、さっそく飲んだが、飲めれば何だっていいという私なので味の方は?と聞かれても答えようがない。料理はコースで頼んだ。ハモ鍋等、最後はサバずしか、、わすれちゃったよ。でも美味しかったのは覚えている。

 昨年、京都在住の編集者をしている幼馴染と会った。上記の店のことを聞いたら知らないとのこと。そんなもんか。仕事の関係上、後からやって来た子供曰く、京都での集合場所が飲み屋とはねえ、、

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第二力酒蔵 中野

 学生時代、何回行ったんだろう。中野に仲の良い同級生が住んでいてよくいっしょに行った。先ごろは太田和彦さんの番組「ふらり旅、いい酒、いい肴」で取り上げられた。上京ついでに、時間があったので上記の酒場へ行ってきた。中野の友人に連絡をして、、、その友人がすぐ店へ予約。他に同級生も誘って、、、

 北口で降りて歩いて数分もかからない。足が自然に動く。ところが行けども行けども店にたどり着かない。移転したのかなあ、、、まさか、、、。さっそく友人に電話。もう店で集まっており、迎えに来てくれた。どうも入る路地を通り過ごしていたようだ、、、あんなに通ったのにと友人たちは呆れていた。

 店内はもう客でいっぱい。第二力酒蔵という名前は学生時代から変な名前だと思っていた。太田さんの番組で理解出来た。以前支店をいくつかだし、第一、第二、と第五あたりまで出したが、閉店して今は第二のみ残っているとのこと。

 料理の値段は少々高いが、新鮮で美味しい。以前テレビで紹介された安くてという店。味はイマイチだった思い出がある。レポーターは美味しそうに食べるなあと感じた次第。

 友人が今でも常連で、店長から差し入れがいくつもあった。2次会はすぐ近所のブリック。そこもよく行ったなあ。西洋風の作りのバー。値段をみて驚いた。安い。学生時代は他の店を知らなかったので高い安いがわからなかった。今は少々他の店も知っているので比較が出来る。中野にはいくつか大学は出来たそうだ。ますます若者の街。それにしても飲み屋がいっぱいある。さすが都会。

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ニューモラル №560 平成28年4月号


待合室にご用意してあります。無料配布です。なお宗教、政治とは一切関係ありません。

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待合室の手拭い  橘家円太郎


 春風亭小朝の一番弟子。円太郎になるまでは「あさり」という名前であった。真打昇進の時、ハマグリと名を変えろと小朝から言われたようだが、それは勘弁してくれと言って、上記の名前になった。一人真打で、披露興行40日間はずっと師匠の小朝が付いて回ったエピソードがある。当時人気絶頂の小朝も、落語協会会長小さんにいっしょについて回れと言われ、仕事を全部断ったとか。

 この円太郎に初めて会ったのは、新宿御苑近くにある割烹「包丁人のおもてなし処 みやはら」 まあ、ようするに私の幼馴染のやっている店。都内在住の母校の大学後輩から電話。円太郎と飲むので、いい店を紹介してほしいと、、、ついては先輩もいっしょにと、、、、

 聞くところによると、その後輩のところに出身高校の名簿が届いたそうだ。パラパラ開いていたら、その中に職業落語家という名前を発見。すぐ円太郎に連絡、、、まあ、考えて見れば後輩も大胆なことをやってのける。学生時代から少々変わってはいたが、、、

 その店で3人で飲んだ。そのあと、拙宅の落語会に呼んだり、また隣町の落語イベントでも円太郎を紹介した。今年は栃木県鹿沼市にある浄土宗のお寺「雲龍寺」主催の檀家の集まりで円太郎に落語をやってもらうことになっている。期日は11月12日。そこのお寺では年に一度落語会を開いている。演者は毎年私が選んでいるが、円太郎には毎年お声を掛けているが、寄席のトリを務める時期と重なり、なかなか実現しなかった。今年は新年早々に連絡。やっと実現した次第。

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ふしぎ・ふしぎ噛むことと健康 イオン飲料を考える


 

★  待合室にご用意してあります。一部抜粋。

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水戸偕楽園、弘道館散策


 風流人でもない私がご近所の方と上記のところへ行ってきた。つい1週間前も同じく水戸にある水戸プラザホテルへ行ったばかり。

 もう時期が過ぎているかと思ったら、とんでもない。園内は梅の花でいっぱい。当たり前か、、駐車場も並んでいて、偶然にも一番後ろに並んだら、側に民間駐車場があった。そこへ急きょ移動。一日500円。偕楽園の駐車場も500円。

 最初常盤神社お参り。そこから東門に入り偕楽園。途中屋台もいっぱい並んでおり、梅の香を楽しもうと思ったら、園内ソース焼きそばの臭い。丁度梅祭りをやっており、綺麗に着飾った歴代の梅娘がズラッと椅子に座っていた。放送では初代の梅娘を紹介していたが、見たかったなあ。すっかり梅干しになったかな。梅にもいっぱい種類があり、花の大きさも違う。その中にいかにも枯れそうな梅の木。でもしっかり花を咲かせている。まるで抜歯寸前の歯を思い出した。でもそれでも歯の役目をしているのなら抜かないで残さないと、、、水戸藩代9代藩主斉昭が作った偕楽園、同じく休息所として作った好文亭も見学。狭い階段を上り3階からの眺めは秀逸。

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 さて、昼は水戸プラザホテルへ行った。先週に引き続き行ったところ。ドアマンに案内されてレストランコーナー。そこでハプニング。レストランマネージャーらしき者が、予約をしたかと聞かれた。フリーと言ったら、いっぱいと断られた。オイオイ、ホテルのそれもランチで予約なんて、、、私も都内では超一流と言われているホテルで何度もランチをしたことがあるが、予約なんて初めて聴いたよ。水戸では一流?のホテルなので、厳格なのかな。せめて待ちますよといってほしかった。ピクニックの服装がよくなかったのかな。災い転じて何とやらで、弘道館へ行く途中に寄った「魚武」という魚屋が営んでいる食堂。私はサバ味噌煮定食、ご近所の方はホッケ定食、家人はカキフライ定食。美味かった。3人分の値段がホテルのランチ一人分。

 その後弘道館。当時の藩校としては日本一とか、、、ホンマかいな。観光客も少なく落ち着いた雰囲気。庭の梅もじっくり観察。

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 ところで拙宅から水戸までの道の途中に物産センター「かざぐるま」がある。見て肛門ではなく、水戸黄門一行に付いて行く忍びの風車の弥七は、風呂好きの由美かおる演じる九ノ一と同じく、想像上の人物かと思ったら、弥七は本当らしい。ただ、いちいち風車を手裏剣替わりにしたかどうかは定かではないが、、、

亡くなった仏様が足を引っ張っている。


 震災から5年。早いもんだ。でも原発、津波被害でまだまだ不自由な生活をしている方がなんと多いことか。お察し申し上げます。

 当地も原発の影響で除染をした。拙宅もそうだが、毎朝ラジオ体操で集まる児童公園も除染。で、その残土を児童公園の真ん中に埋めて、その位置のところに大きな釘みたいなものが刺さっている。最終処分場が決まるまでの暫定処置。

 その児童公園の脇に消防署の屯所があり、移転に伴い、その屯所を壊すことになった。ブルドーザーが入った。丁度、残土の上も通ったのか、そこがへっこんでいた。で、何を言いたいかというと、ラジオ体操のとき、その残土の上が私の定位置。その場所がへっこんだので、バランスを崩し、フラッとするなあ。なので今は場所をずらしている。

 さて、実家のお墓でのこと。もう50年以上も前の話。母親とお墓へ出かけた。当時は土葬。母親が家のお墓の前に立ったら、突然足がスポッと入った。数年前に実家ではお葬式があったばかり。丁度棺桶を埋めた上に立ったわけだ。きっとご先祖様がおいでおいでをしたのかしら。

 残土がへこみ、とっさに昔の出来事を思い出した。

床屋の床の思い出


 もう50年近くも前のことかしら。今はないが、実家の近所に床屋があった。井上理髪店。床を張り替えたのか、椅子のあるところが綺麗な板になっていた。ちょうど待っていた時、小学生らしき者が順番に呼ばれた。その小学生はそこでくつを脱いで入った。店主が履いたままでいいよと言った。店の床半分が綺麗な板になっており、その子は脱ぐもんだと思ったらしい。やさしい子どもだなあと今でも覚えている。それを見ていた私は彼よりも学年が下。あいかわらずませたガキだなあ。

 先ごろ、拙宅の医院の患者さん。レントゲン室へ入った時、スリッパを脱いだ。レントゲン室と診療室は床が違う。勘違いしたんだろうなあ。その場面を見て50年前の床屋を出した。フラッシュバックというのだろうか。でもフラッシュバックは本来悪い意味の体験を思い出すことだそうだ。この場合は何ていうんだろう。