ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
  • 0287-65-2830
  • 〒329-3153
    栃木県那須塩原市大原間403-6
    那須塩原駅東口徒歩3分
  • 診療
    時間
    日祝
    9:00

    13:00
    14:30

    18:00
    ※土曜日の診察時間は17:00までとなります。
    ※木曜日は不定休です。
  • 設備
    駐車場4台完備
    車いすの患者様スロープ完備

ボヤキ川柳

同級会みんなでメガネ資料読む  №647

  • 2015年06月05日

 久々の中学同級会。還暦だよ。イヤになっちゃうなあ。幹事が資料を配った。皆さんメガネを出して読み始めた。異様な雰囲気だったなあ。中学時代の顔を覚えている。どうもそのときの印象が強く、メガネに結びつかない。

 人のことは言えない。私だってメガネをかけている。たぶん回りの連中もびっくりしているかも。私は目はいいほうで、こういった生業をしていもメガネは必要なかった。でも10年ほど前からメガネをかけるようになった。老眼だ。メガネをかけたらよく見えるようになった。今のメガネは中近両用。だれでも確実に歳を取っていく。

 昔は還暦なんて聞くとあと何年生きられるのだろうと思っていたが、自分がその年齢に達するとそんな感じは全くしない。青春まっさかり。先ごろ誕生日が来て、また一つ歳を取った。

 先日自宅の庭に猫が入ってきたので、追っかけて行った。足が前に出ないんだなあ。よろけそうになった。そうか、ここでも確実に歳を取っているんだなあ。

 

アカペラで聞いてみたいなAKB  №641

  • 2015年05月18日

 先日ジョンレノンがドームでコンサートを行った。同じ歳だと豪語している方が聴いてきたそうだ。昨年は払い戻し。32曲休まずに唄ったとか。休ませたのは楽団の方、、、さすがプロフェッショナル。

 それに引き替え上記の女子ども。マイクは必要ないじゃん。今はコンピューターで声も変えられるそうだ。ナマの声も聴いてみたい。たまには踊らなくてもいいので、歌だけで聴きたいなあ。ピンの歌手はすごい。よく覚えているもんだ。

ゆっくりと走るくせして黄色無視  №633

  • 2015年04月08日

 ちょくちょく宇都宮へ車で行く。この歳になってもスピードは出すんだなあ。でも安全運転には心がけているし、前の車が遅いからといってあおることは絶対しない。そして譲ってあげることを心掛けている。

 初めて車を買ったのは在京時代。ペーパードライバー歴5年で新車を買ってすぐ乗った。近くに住んでいた後輩がいっしょに乗ってくれた。後輩もいい迷惑だったろうなあ。その後輩も今では都内で盛業中。初めて運転をしたとき、道路を渡ろうとしていた人がいた。私も通り過ぎようとしたら、その後輩が止まってあげよう。ここで一ついいことをすれば、神様が一つ助けてくれるよと、、、、やけにその言葉が今でも耳に残っている。

 あるとき一般道を宇都宮へ向かっていた時のこと。制限速度より少し遅めに走っている車があった。そこは追い越し禁止車線。どうも私はそういう車に会うんだなあ。別にあおることはしないが、ずっとイライラして運転。後ろに車が長く続いていた。遠くの信号が青から黄色になった。当然前のゆっくり走る車も停車すると思ったら黄色なのに止まらなかった。おかげで私の車の時は赤。また青になってその遅い車に追い付いた。また黄色無視。後ろの私は赤になりまた停車。2車線になり追い抜いた。追い抜きざまに見たらご老人。隣は奥様か、、、楽しそうにしゃべっていた。

 あのご老人の運転は果たして安全運転っていうのかしら。他の車がいい迷惑。

冬は風邪春は花粉でメシを食い   №599

  • 2015年03月17日

 「冬は義士夏はお化けでメシを食い」ってのはどこかで聞いたことがあるなあ。

 今花粉の季節。花粉症の方は大変だ。歯科治療をしていても重装備で来院される方がいる。お察し申し上げます。歯科は水を使うし、ある程度は口を開いていないといけない。苦しそうだ。また冬は風邪が流行る。何とかは風邪を引かないというが、正月早々風邪を引いてしまい、数年ぶりに医者。まあ混んでいたなあ。

 暖かくなってくると農家が忙しくなる。とても歯医者へなんて行っているヒマがない。患者さんが激減。何とかが赤くなると医者が青くなるという。こりゃ秋か、、先ごろどうも歯医者は一年中青くなっている。その点医者は混んでいる。季節ごとに病気の流行りがあるんだなあ。冬は義歯でもない。むし歯は一年中シーズン。でも治療は後回し。やりたいことの優先順位の一位は忘れたが、歯科治療はずっと下。

 数年前、退職した方や余生を楽しんでいる方たちにアンケートを取ったプレジデントという雑誌。若いときにやっておけばよかったということは何か。堂々第一位は歯科検診。余生を楽しむのは金を貯めることではなく、おいしい物を食べることだそうだ。そのとき、歯が悪ければ、、、老若男女に限らず、治療をしていてもっと早く来院すれば、、、と思う患者さんは多い。

 むし歯になっても歯医者が多いのですぐ何とかしてくれるだろうと思うのは大間違い。むし歯になったら治しても、もうその歯はダメになっていくと思わないと、、、むし歯にさせない努力をしないと、、、大きくなるまでむし歯を育てちゃダメ。歯医者は行きたくない場所。でも行かざるを得ない状態を作っている方のなんと多いことか、、、

小噺千集追加 その101~113

  • 2015年03月12日

 わかりやすい小噺を追加致しました。宴会の席等で発表してみたら如何でしょうか。ご自由にお使い下さいませ。またおもしろい小噺がありましたらご連絡願います。小噺千集の板をクリックして下さい。

順不同弔電読み上げ偉い順  №591

  • 2015年03月08日

 葬儀に参列すると弔電披露というコーナーがある。コーナーという表現は不謹慎だが、他になんていうんだろう。度忘れ。

 司会者が順不同で、、、てなことを言って読み上げるが、どういうわけか地元選出の国会議員の名前が先に出る。市長とか、、、故人には申し訳ないが国会議員や市長と本当にお知り合いなのかと疑いたくなる。もちろんこの方ならばそうだなあと思うこともあるが、、、たぶん新聞の訃報欄を見て秘書が送っているのだろう。それよりも会社の上司からの弔電や、明らかにお付き合いのあるような方を先に読んで、最後の方にさりげなく国会議員等の名前を読めば、その議員の名前が心に残るかもね。

 あるお葬式に出席した人の話。長く患っていた母上様がお亡くなりになったとのこと。喪主である息子の会社から花輪もなければ生花もない。弔電もない。その葬儀の最中、会社から喪主に電話があったそうな。会社の方から「お母さん、その後如何ですか、ところで出張はどちらですか」とご機嫌伺い。今葬儀の最中ですと答えたそうな。

 亡くなった当日会社に連絡をしたのだが、電話を受け取った方が何か勘違いをして、担当に連絡をするのを忘れたそうだ。出張扱いになっていたようだ。有名な大きな会社なのに、、、

 

 

芸人の手拭い  三遊亭金馬

  • 2015年02月28日

 落語界のスーパースター。お笑い三人組で日本中に顔が売れた。信州の実家では毎週のように見ていた。今と違い、昔は見るチャンネルが少なくNHKと信越放送しか映らなかった。聴いたところによると当時から東京はチャンネル数が多かったとか、、、その電波を使っている栃木県や周辺の地域はその恩恵をこうむっていたはずだ。だって当時の懐かしい番組の話を聞かわれても、信州では映っていなかったので話が合わない。学生時代のカルチャーショックのひとつ。

 神楽坂に下宿をしたとき、近所にある毘沙門天で毎月落語会をやっていた。上京当時は、5日が「創作落語会」と題して、レギュラーメンバーが金馬、圓歌、米丸、柳昇、三平、圓右、つばめが毎月出演していた。15日は別の落語会。25日は金馬いななく会と題して金馬独演会をやっていた。金馬一家が毘沙門寄席の世話役をやっていた。奥さんには入場料をいつも安くしてもらったっけ。

 昭和48年5月5日に初めて毘沙門寄席へ行った。いい席を取ろうと開演1時間前に行ったら客は誰もいなくて、会場内では金馬が一人でプラグの修理をしていた。あのスーパースターの金馬に声を掛けた。感激したなあ。しゃべってみると普通のおじさん。当時44歳だったと思う。それから顔を覚えられ、毘沙門寄席ではよくおしゃべりをした。大学最終学年のとき、落語協会納会があり、金馬の家から会場である東天紅へ一緒に行った。またそのあと、浅草演芸ホールまで一緒に行ったっけ。

 息子でもあり弟子でもある金時の結婚式にお声を掛けてもらった。全日空ホテルでの挙式。まあ、テレビでみる芸能人が多く出席していた。金馬一門のパーティにもよくお声を掛けて頂いた。ある金馬のパーティには時の総理大臣森首相もやってきて目の前を通って行った。そういえば会場に、イヤホンをしている背広姿の人たちがチラホラといた。てっきり野球放送を聴いていると思っていたら、SPだったんだなあ。

 神楽坂商店街組合で記念の本を出した。そこへ金馬が投稿した。内容を呼んでびっくり。学生時代から落語を聴きに来た学生がいた。今では那須塩原で寄席を開き、弟子たちが大変お世話になっている。彼は日本歯科大学を卒業し、、、、オイオイ、神楽坂に住んでいるからと言って、母校が日本歯科大学になってしまっている。私は水道橋の歯科大学なんですけどね。

 金馬も寄席矢島亭に来て頂き、演目は私が決めてやってもらった。禁酒番屋、佃祭の2席。後日金馬の弟子たちにそんな話をしたら、とても弟子の分際で師匠に演目指定は出来ないと驚いていた。当方知らないから何でもできちゃうんですよ。

DSCN0509

 

 

芸人の手拭い 三遊亭圓歌

  • 2015年02月16日

 山のアナアナ、、、、の3代目圓歌である。

 田舎にいるときから三遊亭圓歌は知っていた。当時は歌奴で超有名。上京し、神楽坂へ下宿をした。近くに毘沙門天があり、その地下書院で毎月落語会を開いていた。創作落語会という名称でメンバーは決まっており、三平、金馬、柳昇、米丸、そして圓歌。つばめは亡くなり、もう一人の円右は脱退した。

 圓歌の落語はとにかく明るい。授業中、浪曲社長、月給日、きゃいのう、替わり目、坊主の遊び、品川心中、西行(これはイマイチよくストーリーがわからない)、そして中沢家の人々等。毘沙門天や、寄席等で何回聴いたんだろう。鈴本演芸場で客席から授業中とリクエスト。それに応えてやったこともあった。

 弟子に圓歌師匠のことを聞いた。涙もろいとのこと。弟子志願で取りたいところだが、内弟子が独立してしまうとあまりにも寂しくなり、奥さんと泣いてしまう、、それがいやで弟子はもうとらないとのこと。圓歌には子どもがいないんだなあ。最初の奥さんは病気で亡くなり、そして二人目の奥さん。

 学生時代、金馬のかばん持ちをやった。池之端にある中華料理屋で落語協会納会。終わって金馬と圓歌さんの車に乗せてもらい、浅草演芸ホールへいったこともあった。そうそう、圓歌は落語の最中、腕時計をしていたときがあった。本来は外さないといけない。そのことをある落語家に聞いたところ、圓歌さんだから許されると言っていたっけ。何だかよくわからない。

 以前当寄席に出演依頼をしたところスケジュールが合わないと、本人からご丁寧に電話があった。次の機会にお願いしますと言われたが、あれから何年経っただろう。もう無理かな。

DSCN0506

ご自身で磨けるうちは先長い  №590

  • 2015年02月07日

 お元気なお年寄り。歯磨き自体は手首を使うのでボケ防止になるとか。身の回りの世話も出来る方はお元気な証拠。そこへ歯みがきも加えてほしいなあ。私は歯は磨かないんですと堂々といっていた患者さんがいた。オイオイ、それはないだろう。磨けるんだから磨いてよと言っておいた。歯もたくさんそろっているんだから、、、

 身の回りのことも出来、化粧もしっかりするが、肝心の歯磨きは全くやらない方がいた。臭うんだなあ。香水云々より歯みがきをしっかりやった方がいいのにねえ。

 まるでお口の中を見ると20代じゃないかと思うほど歯がそろっている方がいた。そしてよく磨いているので口の中が綺麗。背筋もピンとして立っている姿はとても後期高齢者とは思えない。そうだ、この方は三度三度歯を磨くと言っていた。衛生観念がしっかりしている。アッパレ。

芸人の手拭い 柳家小三治

  • 2015年01月31日

 人間国宝柳家小三治、元落語協会会長

 柳家小三治とはその昔一度喫茶店でおしゃべりをしたことがある。昭和51年ごろかしら。岩手医科大学の文化祭で柳家小三治を呼ぶことになった。岩手医科大学落語研究会の方から私に連絡があり、条件等を聞いてほしいとのこと。そこで末廣亭に出演している小三治に直談判。初めて楽屋入り口へ行った。楽屋には金馬もいて、私の顔を見て驚いていた。そうなんですよ。当時下宿をしていた神楽坂に、毘沙門寄席があり、毎月私は顔を出していた。レギュラーの金馬と懇意になったわけ。さてちょうど小三治が出演中。出し物は「小言念仏」 扇子がバラバラになってしまったと言って降りてきた。岩手医大から連絡が行っていたようで、裏の「楽屋」という喫茶店で話会い。寝台車で行くが、弟子はなんでもいいが、私はグリーン車にしてもらえないかと言われた。それがやけに記憶に残っているなあ。それから雑談になり、私の心の想いを話した。

 どうも私は空想の世界に浸ることがあり、私自身が現実であり、私以外はダミーだと、、、、てなことを小三治に言って、本物なんですねといったら、おい、止してくれよとあきれ返られた。コーヒーをおごちそうになった。

 その後の活躍はもうご存知の通り。落語家等のパーティへ呼ばれたことがあるが、なかなか小三治とは会えなかったなあ。小三治は酒の席が苦手みたい。

 もう時効なので話すが、学生時代の同級生の診療所へ柳家小三治が通院しており、ゴルフ好きということで同級生の運転でいっしょにゴルフに行ったとのこと。他に三遊亭円窓、そして亡くなった桂文朝の4人。落語に興味のない同級生が話してくれた。

 ある落語家から聞いた話。小三治のゴルフ好きには有名で、あるとき小三治の大ファンがいっしょにラウンドしたいと言って夢が実現した。でプレーが始まると、理詰めのゴルフの小三治はいっしょに廻る仲間のことを考えず、自分のスタイルを押し通したそうだ。そのファンはもうイライラの連続でもう2度といっしょにやりたくないと、、、、

 落語協会会長ともなると、真打披露は一大行事で、寄席の披露目には会長がいっしょに付いて廻る。そのときは会長も他の仕事をキャンセルして新真打といっしょに行動するようだ。ところが小三治会長は自分の都合を最優先して、いっしょにまわらなかったと新真打から疎まれたという話を聞いたことがある。また出演料が高いということ。これは他の落語家の底上げもあるので、譲らなかったらしい。でも人気があるんだし、実力もあるので納得するしかない。

 住んでいるところは高田馬場駅近く。詳しくは書けないが、レレレ、あの場所に家があるの?という感じかしら。小三治自身のマクラを集めた文庫本、またエッセイ本もおもしろい。その昔、落語協会では「ぞろぞろ」という協会誌をだしていた。そこにオカミさんリレー特集があった。小三治の娘が何かの新聞にオカミサンの似顔絵を載せた。かなりデフォルメされた似顔絵。いくらなんでも実の母親の顔を、、、あるときの「ぞろぞろ」は小三治のオカミさんだった。写真が載っていた。似顔絵そっくり。

DSCN0486