芸人の手拭い 柳家小三治
人間国宝柳家小三治、元落語協会会長
柳家小三治とはその昔一度喫茶店でおしゃべりをしたことがある。昭和51年ごろかしら。岩手医科大学の文化祭で柳家小三治を呼ぶことになった。岩手医科大学落語研究会の方から私に連絡があり、条件等を聞いてほしいとのこと。そこで末廣亭に出演している小三治に直談判。初めて楽屋入り口へ行った。楽屋には金馬もいて、私の顔を見て驚いていた。そうなんですよ。当時下宿をしていた神楽坂に、毘沙門寄席があり、毎月私は顔を出していた。レギュラーの金馬と懇意になったわけ。さてちょうど小三治が出演中。出し物は「小言念仏」 扇子がバラバラになってしまったと言って降りてきた。岩手医大から連絡が行っていたようで、裏の「楽屋」という喫茶店で話会い。寝台車で行くが、弟子はなんでもいいが、私はグリーン車にしてもらえないかと言われた。それがやけに記憶に残っているなあ。それから雑談になり、私の心の想いを話した。
どうも私は空想の世界に浸ることがあり、私自身が現実であり、私以外はダミーだと、、、、てなことを小三治に言って、本物なんですねといったら、おい、止してくれよとあきれ返られた。コーヒーをおごちそうになった。
その後の活躍はもうご存知の通り。落語家等のパーティへ呼ばれたことがあるが、なかなか小三治とは会えなかったなあ。小三治は酒の席が苦手みたい。
もう時効なので話すが、学生時代の同級生の診療所へ柳家小三治が通院しており、ゴルフ好きということで同級生の運転でいっしょにゴルフに行ったとのこと。他に三遊亭円窓、そして亡くなった桂文朝の4人。落語に興味のない同級生が話してくれた。
ある落語家から聞いた話。小三治のゴルフ好きには有名で、あるとき小三治の大ファンがいっしょにラウンドしたいと言って夢が実現した。でプレーが始まると、理詰めのゴルフの小三治はいっしょに廻る仲間のことを考えず、自分のスタイルを押し通したそうだ。そのファンはもうイライラの連続でもう2度といっしょにやりたくないと、、、、
落語協会会長ともなると、真打披露は一大行事で、寄席の披露目には会長がいっしょに付いて廻る。そのときは会長も他の仕事をキャンセルして新真打といっしょに行動するようだ。ところが小三治会長は自分の都合を最優先して、いっしょにまわらなかったと新真打から疎まれたという話を聞いたことがある。また出演料が高いということ。これは他の落語家の底上げもあるので、譲らなかったらしい。でも人気があるんだし、実力もあるので納得するしかない。
住んでいるところは高田馬場駅近く。詳しくは書けないが、レレレ、あの場所に家があるの?という感じかしら。小三治自身のマクラを集めた文庫本、またエッセイ本もおもしろい。その昔、落語協会では「ぞろぞろ」という協会誌をだしていた。そこにオカミさんリレー特集があった。小三治の娘が何かの新聞にオカミサンの似顔絵を載せた。かなりデフォルメされた似顔絵。いくらなんでも実の母親の顔を、、、あるときの「ぞろぞろ」は小三治のオカミさんだった。写真が載っていた。似顔絵そっくり。
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