待合室の写真 観音沼 2017.10.22
- 2017年10月31日
- お知らせ
診療 時間 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日祝 |
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9:00 ▼ 13:00 | ◯ | ◯ | ◯ | 休 | ◯ | ◯ | 休 |
14:30 ▼ 18:00 | ◯ | ◯ | ◯ | 休 | ◯ | ◯ | 休 |
このところ、続けて大雨、台風の最中に東北自動車道で上京。皆さん安全運転。なので大雨にもかかわらず、いつもと同じ時間で行くことが出来た。
でも先日の大雨の日、事故に巻き込まれそうになったのでクラクションを都合3カ所で鳴らした。
①東北自動車道の真ん中の走行車線を走行中、突然左側の走行車線から割り込まれた。車線変更するとき、たぶんサイドミラーだけ見て、安全確認をして車線変更をしたんだろう。クラクションを鳴らしたら、スピードを上げて行ってしまった。黒い軽自動車だな。
②新宿区抜弁天の赤信号で停まっていたら、青になった。前の車が動かない。かなり長い。運転手はずっと下を見ている。クラクションを鳴らした。すごいスピードで発進。スマホを見ていたようだ。
③そのあと大久保通りを飯田橋方面へ向かって走行していたら、牛込北町の手前の左手に車の列。はて何の順番だろう。駐車場待ちなのかしら。最後尾の車が突然ウインカーも出さずに発進。危うく接触しそうになった。当然のようにクラクション。この車もすごいスピードで行ってしまった。
②、③は高級車だった。そして3台とも共通して言えることは、若者でクラクションを鳴らしたら猛スピードで行ってしまったということ。危ないなあ。運転技術がまだ追いつかないんだなあ。
それとも、私の車に追いかけられて、何かされると思ったのかな。でも私の場合、全くこちらには非がない。でも先ごろの事件のように、逆恨みされても迷惑だし、、、
でもああやってニュースで取り上げられたので、あおり運転、嫌がらせ運転等は少なくなったようだ。覆面パトカーもスピードばかり追わず、あおり等を見たら、そっちを捕まえてほしい。
紅葉の候、如何お過ごしでしょうか。さて、天災と落語会は忘れた頃にやってくるという例え通り、上記の会を開催致します。立川談志の元、唯一内弟子修業を送り、談志の裏の裏まで知っていると云われている師匠です。先ごろ落語芸術協会に移籍し、益々活動の場を広げております。
恒例の抽選会も行います。笑点カレンダー、色紙、手拭い等併せてお楽しみ下さい。
11月18日(土)開演6時
那須塩原市東小屋 法真寺
木戸銭:2500円
【チケット取扱所】
大吉屋文具店 もしもし65-0207
矢島歯科医院 もしもし65-2830
当地は東那須野駅前地区と別名がある。その駅前地区は12の組に分かれている。組というのはグループというのかしら。昔の隣組制度みたいなものだ。昔じゃなくてもいいのか、、、
拙宅は12組に属している。その組の仲間が昔から仲がよく、毎年町内会旅行に行っている。旅行会の名前は「朋晋会」。意味はわからない。今年も先ごろ行ってきた。出席者は8名。毎年、同じ旅行ガイドの方が所有の車を運転をして合計9名で各名所を廻っている。年齢は80代3名、70代2人、60代3人、その中で女性は3名。まあ、夫婦もあれば、未亡人もいるし、奥さんを亡くした方もいるし、、、いろんな事情を抱えた仲間たち。他の組の方から羨ましがられている。他の組も以前は町内会旅行に行っていたが、諸般の事情で取りやめ。続いているのは12組だけのようだ。
続けられる理由の一つに我が仲間には、理屈っぽい人や、酒癖の悪い人がいない。皆さん和気あいあい。最年少は私で、介護役。でも80代でフットワークのいい方がいて、トロイ私はかなわない。そして帰ってきたら、すぐ解散ではなく、近くの食堂で打ち上げ。そこでまた宴会。まあ、皆さん元気元気。
車で上京したときのこと。いつものように東北自動車道蓮田サービスエリアで休息。10分後ぐらいだったかしら。カップコーヒーを車に入れて、エンジンを掛けたがかからない。アレレ。何度掛けてもかからない。こりゃJAFだなあと思い携帯から電話。やっと通じて40分ぐらいで到着とのこと。JAFを呼ぶのは20年ぶりくらい。以前のことも思い出にあるが、それは後日書こう。
しばらく車の前に立っていたが、暑かった。ハタと気が付き、食堂で待つことにした。40分近く経っても電話がない。携帯を開いたら、なんと3回連絡が来ていた。マナーモードにしていたわけだ。急いで駐車場に行ったら、真後ろでJAFが待っていた。平謝り。5分前に到着していたとの事。降りてきたのは一見強面のアンちゃん。でも物腰がものすごく丁寧。ボンネットを開けて検査。私が合図に合わせてエンジンを掛けたり、、、結論はこの場所では修理不能。修理工場までレッカー移動とのこと。インターチエンジで下りて、近くの修理工場へレッカー移動するか、、、その場合は完成した場合、取りに来ないといけないとか、、、もう一つはかかりつけの修理工場へ持っていくか、、、レッカー移動でJAFは5キロまで無料。そのあとは有料と言われた。距離は130キロ。任意保険を思い出し、その会社へ、、、ところが、その任意保険の会社名が思い出せない。書類は自宅にあるし、、、JAF隊員に保険会社を片っ端から云って貰ったが思い出せない。かかりつけの修理工場へ電話したところ、任意保険を調べてくれて保険屋から電話が来た。状況を話し、本社から電話させるとのこと。JAFがいうには20分から30分くらいかかるのはザラとのこと。その間、炎天下で待っているのもつらいので、JAF隊員に声をかけ、いっしょに食堂へ移動しようと云ったら、自分は車で待ってますとのこと。本当に20分ぐらいで本社から連絡が来た。隊員曰く、今日は連絡が早いと、、、物腰の柔らかい女性。同情してくれた。まあ、そうだろうなあ。自分は表面上は冷静だが、内心はイライラしていたと思う。保険で無料でレッカー移動できるとのこと。そして自宅までJRで帰るので、その切符代も無料とのこと。
JAFに電話を代わってもらい交渉。レッカー移動が決まり、さっそく取り付け開始。ただSA駐車場での作業は他の車に迷惑になる。そこで幸運が続いた。故障車の隣が開いたので、後ろに停まっていたレッカー車がそこへ移動。私は車に乗っていてと云われ、、JAF隊員が私の車を押した。車がすっと動くではないか。初めて知った。車を後へ移動。その前にJAFの車が移動。さてそれからの作業の手際のいいこと。たちまち故障車の前輪を持ちあげレッカー移動準備完了。私は故障車の助手席、家内はレッカー車の助手席。出発して近くの岩槻ICまで路肩走行。いやあガタガタ。暑いので出発前に窓を開けたら、木が入って来るし、、、エンジンがかかってないので窓は閉まらないし、、後は一般道でトータル40分ぐらいゆっくり走り、蓮田駅で降ろしてもらい、一度大宮へ戻り、新幹線で帰った。4時ごろ自宅へ戻った。その後、JAFは私の車を引っ張り、6時半に西那須野町のいつもの修理工場へ到着。出発から6時間。
今回はいろんな人に世話になった。ありがたい。そしてJAF隊員が最後まで寄り添ってくれた。これは本当に心強かった。そんなことを隊員に話したら、実際、呼んだ人はパニックになっているので、最後まで付き合うのが原則とのこと。隊員が神様に見えた。
思うに高速上で停まったらどうしたんだろう。路肩に停めて、JAFを呼んで、到着までガードレールの外に立っている。暑いだろうなあ。幸運が重なった。車内からレッカー車と修理工場へ到着した時の写真。