芸人の手拭い 立川談志
先日ビフォーアフターで練馬にある立川談志邸の改築を行った。はて、場所はどこだろう。立川流の落語家を知っているので彼らに聞けばすぐわかるが、紳士協定があり素人は聞いちゃダメ。といっても落語協会、芸術協会等の芸人さんたちの名簿は持っているので、そんなに気にすることはないか、、、でもその家に立川志らく一家が住むということであまり立ち入らない方がいいかもね。いつかたまたま知ったら見学してみよう。談志ミュージアムを作るらしい。
根津の八重垣煎餅屋のマンションにも談志の家がある。そこ店は昨年訪れたことがある。店長が詳しく説明してくれた。
談志と初めて会ったのは、昭和48年だったと思う。山形県酒田駅で偶然談志一行と会い、ずうずうしくもサインをねだった。書くものがなく、とっさに兄の名刺の裏へとお願いしたらポケットから自身の名刺を出してサラサラと書いて握手してくれた。ありがたかった。その文句が読めなくて、しばらくは親分だけが人を説得すると読んでいた。さすが談志と妙に感心していた。後年それが「親切」という意味ということを知った。
あれから10数年後の在京時代、飯田橋ラムラで立川志らくの無料落語会があった。感想も書かされ、素人落語の延長と生意気に書いて、住所まで書いて提出。後日立川流二つ目昇進パーティの招待状が届いた。場所は東中野の日本閣。会場内で開始時間までボケーっとしていたら、談志が一人一人に挨拶にやってきた。私は山形での出来事を話したら、もちろん覚えてはいなかったが気さくな感じがしたっけ。
その後、渋谷のラママ?というレストランで談志のトークショー。付いてきたのは今の快楽亭ブラック。ブラックが当寄席に来演した時に聞いたら、そのトークショーは覚えていたようだ。
立川流真打昇進パーティーが東京会館であった。知り合いの二つ目がやっと昇進。写真をいっぱい取ったが肝心の新真打の写真がなかったなあ。
入手経路は不明だが、立川談志の手拭いを待合室に飾りました。
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