子どもと飲む
- 2015年04月10日
- ごじゃっぺ高座
中学3年になった4月1日、親父が亡くなった。享年49。入退院の繰り返しで病名は悪性腎硬化症。今だったら人工透析があるので長生きが出来たかもしれない。「あと3年頑張ればおじちゃん人工透析に間に合ったのに、、、」と、後年従兄弟の医者が言っていたのを思い出す。私にとって49歳は節目。
お陰様で還暦を迎えることが出来た。別にうれしくもないが、、、親父と同じ歯医者になった。親父と同業者という立場で飲みたかったなあ。今さらどうしようもないが、、、幸か不幸か子どもたちが歯医者になった。生きていれば親父の孫だよ。親父、草葉の陰で喜んでいるだろうなあ。でもこの厳しい現実を見ると驚いているかもね。
不思議なもので親父が果たせなかった夢を今自分がしている。同業者の子どもたちと飲む機会が増えた。といっても遠くに住んでいるので、上京した時とか、帰省した時だ。今は慣れたが最初は不思議だった。いままでジュース、ウーロン茶を飲んでいた子どもたちがアルコールだよ。信州の実家へ連れて行っても実家の連中は食事の時、ジュースやウーロン茶を子どもたちに用意する。まだまだガキ扱い。でも一丁前に酒を飲むんだなあ。あのおチビたちがアルコールとは、、、驚いていた。
患者さんや知り合いに、お子さんたちが一人前になって、近い将来いっしょに仕事が出来るんですね、楽しみですねとよく言われる。このことについてはまた書くことにしよう。お他人様にはそう見えるようですが、、、
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