今年を振り返って ①大震災
- 2011年12月26日
- ごじゃっぺ高座
まず被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。
私のその時の状態は診療中で、患者さんと治療椅子の前でしゃがんでいた。即停電。地震が落ち着いた頃、本能的に外へ出た。近所の方も全員外へ出て来た。こういうときは笑うしかないんだなあ。近所では大谷石で出来た石塀が崩れていた。また瓦屋根も崩れていた。当地が一番すごい地震と思っていた。停電だったので、トランジスタラジオを探してきて、電池を入れて聞いた。そこで津波の状況を初めて知った。患者さんもそのあと一人来たが、中止。従業員も帰した。
さて、家の中はシッチャカメッチャカ。本棚そのものが倒れたり、また別の本棚からは本が飛び出たりしていた。足の踏み場がないということはこのことかと感じた。しかし本棚を見ても何ともないといおうか、少ししか飛び出なかったところもある。地震も方向があるのかしら。食器は半分以上割れた。
停電なのでテレビが見られない。車の中のカーナビでテレビを見た。惨状はお察しの通り。当地は電気だけで、水道、トイレは被害なし。明け方電気が通じた。テレビ、ラジオでは突然電気が通じるので、コンセントを抜いておけとのこと。私もその通り実行。次の日は診療日。ところが電話が通じない。はて、電話も被害にあったのかしら。義理がたい患者さんはキャンセルを私の近所の家に連絡して、その方がわざわざ当院まで来て連絡してくれた。ということは、近所は電話が通じる。はて、原因がわかった。電話のコンセントまで抜いてしまいわすれていた。
地震の少し前、子どもが電車で東京へ帰った。埼玉新都心駅で降ろされ、駅はシャッターを閉められたそうだ。明け方まで時間をつぶし、タクシー、地下鉄を乗り継いで帰ったとのこと。山の中での遭難と違い、町中なので、一応安心はしていたが、携帯からの連絡に一喜一憂していた。
計画停電、ガソリンの列も経験。そして7月にはこの目で惨状を見たく、仙台市若林区へ行った。海沿いのところでガードマンに止められた。こりゃてっきり怒られると思ったら、一般車は立ち入り禁止地区だった。被災地になんとか協力は出来ないものかと改めて考えさせられた。
被災地の方の講演を聞いた。前宮古市市長がいうには、物見遊山でもいいのでとにかく被災地に来てほしいとのこと。そして被災地でお金を使ってほしいとのこと。同感。高速道路では被災証明をもらえば無料で通行できる時期があった。ある時、その証明をもらえば、無料で実家の長野県に帰れるよとアドバイスをもらった。笑止千万。東北地方へ行くのなら利用するが、震災と関係のない地域に行くのに、それを利用する気には全くなれなかった。
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