40年目の電話
- 2013年09月02日
- ごじゃっぺ高座
母校長野県伊那北高等学校卒業40周年の行事が来月ある。その10年前も30周年でやった。毎年担当する学年がやっているようだ。もうそんなに経ったのか。
日曜日の夕方、突然伊那北の同級生から電話があった。内容は40周年に向けての出欠のことで、住所が分からない同級生がいて、ある筋から私に聞けば知ってるかもということで、電話があった。数人の住所が判明。私は今でも普通に年賀状のやりとりをしているが、高校の名簿には古い住所が載っていたようだ。
その電話の主は40周年記念の責任者。30周年のときも責任者。ただ私はしゃべったことがない。高校時代はしゃべったかもしれないが、名前を聞いて、すぐ当時の顔が浮かんだ。たしか、その主も40年前の私の顔を想像してしゃべっていると思う。ヤツは今地元で働いている。介護タクシーをやっているとか。当然ながらそう言った方面の話は詳しかった。そろそろ還暦になる年頃の我々には、親の介護の真っ最中という輩も多いだろう。いや、もう大半は親終いかな。この言い方は100歳近くの母を看取った方の表現。
相変わらず能天気な私の受け答えに声が明るいねと言われた。え、どういうこと?住所を調べるために、同級生に連絡を取る。暗い受け答えの輩もいて、いろいろ苦労してるなと察するとか。
先ごろは暮らしている東京で亡くなった同級生の葬儀を伊那の地元で行い、クラス仲間が集まったとか。私の高校の学年は亡くなった仲間が多い。40年の歳月にはいろんなことが起こる。お互い顔を想像しながら長電話になってしまった。
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