当たり前のことで忘れている
- 2013年02月05日
- ごじゃっぺ高座
当院の待合室に置いてある「ニューモラル」という小冊子。道徳のような本。10年ぐらい前、大田原市佐久山にある「木島屋」という和菓子屋へいったら、その本がいっぱい置いてあった。読んでみておもしろく、さっそく購読するようになった。
中身は毎月違い、今置いてある小冊子のタイトルは上記のようなこと。断水してスッタモンダした話。水道は当たり前にあると思っているが、水道を管理する人や、それに携わっている人々がたくさんいるということ。考えてみれば当たり前だが、普段、そのことを考えたことがあるのかしら。
昨年のクリスマスに読売新聞編集手帳に載った内容。銀行員の奥さんは子供が熱を出したりすると、仕事を休んで病院等へ連れて行く。ご主人は順調に出世していく。ご主人がそれで仕事を休んだという話は聞いたことがない。奥さんが仕事を休む。しかし、奥さんが仕事を休むと、その穴埋めは同僚がするわけだ。その会社の社員、あるいはオーナーの仕事が増える。ご主人の出世には、奥さんだけでなく、奥さんの勤め先の人たちも協力している。そのことをご主人は知っているのかという話。
当院の仕事もそうだ。零細企業なので、少ない従業員でやりくりしている。子供の学校行事や、病気などで遅刻したり、早退することが日常茶飯事。お母さんは大変だということで、私も家内も協力して、残りの従業員と仕事の穴埋めをする。そういうもんだと思っていた。その編集手帳を読んで、従業員のご主人も知っているのかと思った次第。
コメントを残す