人が死ぬということ
- 2012年11月17日
- ごじゃっぺ高座
この歳になると、葬儀に参列したのは数え切れない。避けられない人生経験。先ごろ、親戚の葬儀に出席した。入院中も見舞いに行ったが、薬石効なく黄泉の国へと旅立った。病院から戻って来た時、故人が孫のように可愛がっていた親戚の子らも来ていた。彼らにとってどう映ったんだろう。私は都合で行けなかったが、その子らは火葬場へも行った。そうやって色々な経験をしていくんだろうなあ。
正確に言えば、ひい爺さんかしら。小さい時、少しの間だけ暮らした。記憶にないが、ひとつだけ、そのひい爺さんで頭の中に浮かぶ情景がある。そのひい爺さんを菜漬けの樽みたいなところへ入れているシーンを不思議と覚えている。棺桶だな。実家は昭和に入って平均すると8年に一回お葬式をしたらしい。まあ、年寄りが佃煮にするくらいいたのかしら。最後は親父で昭和44年。物ごころついてからの葬儀。火葬が終わり、出て来たときの衝撃は忘れられない。てっきり骨格標本みたいなのを想像した。
あれから何回火葬場へお伴をしたんだろう。あの子らを見て、小さい時の自分を思い出した。
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