実家の秋祭り
- 2012年10月09日
- ごじゃっぺ高座
実家の近所に宮木諏訪神社がある。御柱ではにぎやかになるところだが、普段は寂しい神社だ。また10月の第二日曜日は秋祭り、前日の土曜日は宵祭りで楽しかったなあ。
連休に実家に車で帰った。最初親戚に寄り、神社のそばを通って実家へ行った。神社のある仲町の通りは、各玄関前に提灯が飾ってあった。はて、何だろう。実家付近は提灯が飾ってない。私の帰った日曜日は神社の秋祭りだったとか。じゃあ前日はと、家の者に聞いたら、両日ともお寂しい祭だったとか。第一、屋台が一軒もでなかったそうだ。子どものころは屋台がいっぱいでて、ウキウキした思い出がある。また七輪で焼いて売っている焼イカがおいしそうで食べたかったが、どういうわけか、親父に腹を壊すから絶対食べるなと言われていた。友達がおいしそうに食べている姿が羨ましかった。その影響か、今でも、屋台の食べ物はどうも買う気になれない。御柱のある年の4月に宮木諏訪神社もにぎやかになる。その年の秋祭りは自粛。でも今でも自粛みたいな秋祭りなのに御柱の年はどうなるんだろう。まあ、大きなお世話かもしれないが、、、
その1週間後に今度は辰野地区の神社のお祭りがある。昔は実家でも親戚を呼んで宴会をやっていた。メニューは決まっていて、鯉を食べた。その1週間後は辰野地区にある親父の実家でお祭りに呼ばれた。そこの従姉妹と神社へ行ったっけ。私より、10歳年上。短大へ行って、夏休みに実家へ遊びに来たときのこと。学校から戻ったらきれいな女性がいた。最初誰だかわからなかった。従姉妹だった。進学前は芋姉ちゃんと思っていたが、東京の学校へ行くと変わるんだなあ。今流でいうと、さなぎから蝶になったのかしら。いやらしい表現だ。普段からよく遊んでもらった。
遠くへ嫁に行ったので最近は会わないが、親戚の葬式等でたまにあうことがある。私も還暦前だが、従姉妹はそこへ10を足す年齢になっているはず。秋祭り、懐かしいなあ。でも最近は子どもの数が私たちの時代より激減。当地区も屋台が出るようなお祭りがあるが、年々盛り上がらない。他に娯楽が増え、秋祭りの楽しみがないようだ。風情が段々失われていく。
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