五十歩百歩
- 2012年09月22日
- ごじゃっぺ高座
昔から国語の成績が悪い。天邪鬼なせいか教師の考えに素直に同調できない。一生懸命授業を聴いている同級生たちは試験の成績がいい。私も聴いてはいるが、、、テスト問題で、この作者は何を言おうとしているかという問題ではことごとく玉砕。しっかり授業を聴いている同級生は点がいい。またそれは何をさしているかも、学校のテストの答えと一致しない。遠藤周作の文章が京都大学の入試に出たそうだ。設問とその答えが遠藤周作が思っている答えと違っていた。それで遠藤周作が京都大学に質問状を出したが返事がなかったとのこと。作者が何を考えているかは、作者しかわからない。それを教師の思っている答えと一致したら合格じゃあ、たまったもんじゃない。
高校時代、五十歩百歩という意味を覚えた。要するに同じという意味。でも私は即座におかしいと思った。五十歩百歩は努力を否定する。たとえば60点で合格と言う時、59点と30点はどちらも不合格。でも不合格には違いないが、59点の生徒と30点の生徒では違う。それをいっしょに扱うのは気の毒。そんな話を高校時代に友人に話したら、その後、早稲田大学文学部を8年かかって卒業した輩に OB会で正解と言われた。
セブンイレブンに車で行った時のこと。途中テイクアウトのコーヒーを飲みながら行って、セブンのゴミ箱にカップを捨てた。車の中にいたら、隣に駐車した軽自動車の若い女性が袋に入れたペットボトルを大量にセブンのゴミ箱に捨てた。家庭ゴミ持ち込み禁止となっているのに、、、考えてみれば、私のコーヒーカップもセブンとは関係ない。私も同罪か、、、、いや違う。五十歩百歩ではない。
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