へんな外人
- 2012年09月11日
- ごじゃっぺ高座
今は外人を見ても驚かない。もう目が慣れてしまったんだなあ。小さいころ外人を見てびっくりした。その私が今アメリカ人と親しくしている。アメリカへ行ったこともないし、海外留学の経験もない。ましてや拙宅でホームステイなんてとんでもない。
在京時代、アスレチックに通っていた。高田馬場にあるビッグボックス。今でもあるのかしら。そこでアスレチック主催の皇居一周マラソンがあり、興味本位で出場した。たかだか5キロ。それがきつかった。北の丸公園のどこかへ現地集合。そこにひとり若い外人が来ていた。アスレチックにはけっこう外人さんが多い。やはり健康に対する考え方が違うんだなあ。彼も元気よく走った。私は最下位。終わってから皆で一休み。その外人があの建物は何ですかと日本語で話しかけて来た。政府の建物で確か、私も英語の単語でしゃべったと思う。そこで彼は流暢な日本語、私はいい加減な日本語でおしゃべり。その後、アスレチックへ行って彼とよく会った。アスレチックでも人気者だった。
ある日曜日にアスレチックへ行ったら、彼も来ていて、いっしょに終わったので神楽坂の下宿へいっしょに来ることになった。そこで驚いた。彼はハーバード大学の学生で今日本に語学研修留学。奨学金がいっぱいあり、ほとんど学校へは行かず、アスレチックばかりしていた。近所の先輩のところへも連れて行ったら、そこにもう一人の先輩来ていて、飛行機で田舎へ帰ると言う時だった。買ったばかりのシティに乗せて、羽田空港へ送って行った。時間があったので、喫茶店へ寄ったら、その外人さんはケーキが食べたいといいだし、みんなでケーキを食べた。その後彼の住んでいる幡が谷へ送って行った。外人専用の汚い木造建築。彼はマンション紫雲と呼んでいた。
その後、私の結婚式にも出席し、一度アメリカへ戻り、また日本へ戻って来た時、アパートを探してほしいと連絡があり、私たちが住んでいた神楽坂にアパートを借りて、一日おきぐらいに拙宅へ来て夕飯を食べて行った。あまりにも日本語がうまく、漢字もよく知っている。私はCIAのスパイではないかと一時期疑ったことがある。そんなことをある先輩に話したら、だったらもっと有能な日本人に接触するはずだと言われた。大学を卒業し、あれからずっと都内で仕事をしている。
拙宅の子どもも小さいころからよくかわいがってもらっている。上の子が大学を卒業したとき、お祝の昼食会を都内のホテルでやってもらった。義理堅いんだなあ。
いろんな話をしたが、言葉が違うだけで考えていることは日本人と全く同じ。そうそう、私が当時勤務していた大学病院へ来て、治療もした。待合室で会計をして、医局で遊んで行った。しばらくして財布が無いのに気付き、待合室へ行ったら、財布が椅子の上にあった。アメリカでは考えられないと言っていたっけ。
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