戦艦大和の艦長
- 2012年08月14日
- ごじゃっぺ高座
先日の土曜日、NHKTVで戦艦大和の生存者のことを放送した。90歳前後の方が多い。お元気で何よりだ。ドラマを交えてその時の思い出等を聞くにつれ、今更ながら、戦争の悲惨さが伝わってくる。録画して次の日に見た。3時間があっという間。
戦艦大和に関しては、小さい時から母親や叔母たちによく聞かされていた。母親は3姉妹の長女。その母親の親父。私から見れば、祖父に当たる矢島廉次郎と戦艦大和の最後の艦長、有賀幸作は地元の同級生。辰野出身なのですよ。当時の諏訪中学、今でいう諏訪清陵高校へ辰野からは祖父と有賀幸作ともう一人3人が進学した。祖父はその後信州大学、有賀幸作は海軍兵学校へ進学。母親の親父は3姉妹を残して昭和4年ごろ37歳で病死。母親は当時7歳とか。そんなわけで母親たちは、その後有名になっていく有賀幸作を自分の父親と重ねて見ていたのかも。そうそう、祖父はすぐ近所の同じ矢島家(島屋)から養子として実家へ来た。その祖父の兄弟姉妹は6人くらいいたのかしら。みんな100歳近くまで長寿を全うした。私も何人かを知っている。一番下の方も100歳を超えて、つい数年前他界。その方を母親たちは昔からおじさんと言っていた。私もつられておじさんと言っていたっけ。なんだか複雑な家系、、、でもないか。早くに他界した祖父廉次郎は残りの寿命を兄弟姉妹に分け与えたんじゃないかと、今でも親戚は言っている。
祖父は近所の矢島家から養子に来たわけだ。私の親父も養子で49歳で亡くなった。どうも実家へ来る養子は二代続けて短命だなあ。私の兄は数十年ぶりの男。続けて私が生まれた。町で花火があがったとか。これはウソ。落語に「短命」という噺がある。気になる方は聴いて下さい。
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