詰めが甘いゴタッ小僧
- 2012年08月01日
- ごじゃっぺ高座
中学2年のとき、実家の辰野町はダイヤル通話になった。あれ?3年だったかな。電話は今と違って各家庭には無かった記憶がある。そのかわり、町で経営している有線放送があり、それが各家庭にあった。電話とラジオがいっしょになったような器械。時間になると農民体操の音楽がかかる。懐かしい。女性アナウンサーの声で町の伝達事項を伝える。火事が起きるとすぐ場所も報道。公民館の時間というのもあり、近所のお寺の住職が公民館長も兼ねていたので、毎週なにか放送していた。実家の有線電話番号は98回線の16番で、有線電話が実家にかかるとき、呼び出しに16番さんと有線職員が何度もコールしていた。また耳を近づけると、98回線の別な人の電話内容が聞こえたなあ。いま思えば個人情報もへったくれもない。かなり進歩して電話と直結になり、そしてまた進歩して有線が無くなったとのこと。
親父が一日おきに辰野町のへき地、川島地区で歯科治療を行っていた。亡くなる何年か前、体調を崩し、川島地区の治療をしばらく休むことになった。その地区だけにそのことを有線放送で流してほしいと連絡。ところが手違いで辰野町中に流れてしまい、いろんな方からお見舞いを頂いたことがある。ある時、小学校で書いた私の作文が有線放送で朗読された。家族は全く知らなくて、親戚のおばさんから聞いて初めて知った。確か親父が小学校の近所にあった有線放送本部へ行って、オープンリールのテープレコードに録音してもらったなあ。その作文だが、カギかっこの中で「あはは」と笑う場面があった。誰が朗読したかは知らないが、その部分だけリアルに笑って朗読していた。気持ち悪かったなあ。作者の意向に反している、、、てなほどでもないか。あのテープは今どこにあるんだろう。探せば実家のどこかにあるが、再生する器械がもうないか。
さて本題。ダイヤル通話になった時、町に数カ所しかない公衆電話ボックスもダイヤル通話になった。クラスの悪童二人が電話帳を調べて適当にダイヤルして何かしゃべるイタズラをした。それが何件かあり、その家から警察へ連絡があった。たぶん公衆電話からだろうということで張り込んだら、見事に御用。
そのゴタッ小僧は今では、地元の社長で活躍している。また中学同級会の幹事を毎年引き受けてくれる。ありがたい。電話事件も含め、よく殴った担任も同級会に呼ぶ。彼にとっては懐かしいんだなあ。私は今でも苦手。その同級会の最中にも携帯がよくかかって来て、仕事の打ち合わせ。彼の電話の原点は、捕まった公衆電話かもしれない。
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