水難救助訓練
- 2012年07月25日
- ごじゃっぺ高座
小学校3年までは横川川(よこかわがわ)といって天竜川に合流する川で泳いでいた。季節になるとPTAの親たちが川をせき止めて、少し深くしてプールみたいにしてくれた。水泳なんて全くしたことのない親父が女性のスクール水着みたいなものを着て、手伝いに行った。今思えばすごい格好だ。実家から迷路ゲームのような田んぼを通り、川へ出た。今もそうだが交代で父兄が監視員をやっていた。確か母親も行ったのかしら。
あるとき、監視員の一人がPTA活動に熱心で、ここで救助訓練をやるのでおぼれたふりをしてくれないかと私に話しかけて来た。ちょっと練習すると言ってプカプカ浮かんで、こんなもんでいいかしらと言おうとして立ちあがったら、私に声をかけて来た叔父さんが笛を吹きながらトレパンをはいたまま、川の中でザブザブ入って来てあっけにとられている私を抱き上げて川っ淵で連れてゆき、人工呼吸をし始めた。臨場感を出したつもりだろうが、私はただびっくり。リハーサルもなくトレパンのまま川に入って来た場面をまだ覚えている。小学校4年から学校にプールが出来、川での水泳が無くなった。今も実家に帰った時など散歩しながら小学校へ行く。校舎の位置は変わったが、プールの位置は昔のまま。
その川のもう少し上流では小横川地区の子どもたちが泳いでいた。そこに住んでいた従兄弟から聞いたこと。川で泳いでいたら、少し上流で牛を洗っていた農家があった。突然牛がオシッコをし出した。監視員が慌てて上がれ上がれといったそうな。山があっても山梨県、馬のションベン長野県と歌っていたが、馬ではなく牛だった。のどかな時代だったなあ。
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