シティ イン シティ ホンダホンダホンダ
- 2012年07月05日
- ごじゃっぺ高座
一世をを風靡したコマーシャル。昭和57年6月に買った。ちょうどシティは全盛期。赤信号で止まるとそばを通った小学生が上記のこと言っていた。昭和50年に普通車の免許を取り、ずっとペーパー。兄一家が車で上京し、帰りは載せてもらって帰省。車がこんなに便利とは、、、、自家用車がほしくなり、貯金もあったので買うことにした。同級生で同じく医局もバイト先もいっしょという友人。もらう給料は全く同じ。残りの貯金の話をしたら、俺と同じだと自慢していた。ヤツは車を持っていないし、自宅から通勤。要するにヤツは私の車の代金分を全部飲んでしまったわけだ。
さて、初めてシティが届いた日、車屋と近所に住んでいた仲の良い日大歯学部の学生を呼んで、3人で試乗。その学生に、神楽坂の坂道で今止まって、前の車をゆずってあげたほうがいいよとアドバイスされた。そして、ここで譲ると神様が見ていて、あとで一つ助けてくれると、、、名言だなあ。今でもふと思い出して実行する。神楽坂には友人が多く、当時自家用車を持っている私はよく利用された。遠出もしたなあ。確か車が届いた次の日、首都高速へ乗って青梅方面へ友人とドライブ。今思えばかなりムチャをしたもんだ。
あれから27年シティに乗った。いつぞや栃木県内で、東京ナンバーで、黄色のシティは矢島歯科医院だけだと、近所の駐在さんに言われ、喜んでいいのやら、、、、家内もペーパーで、そのために教習所へ通った。そして板金塗装をして、奇麗にして家内が乗った。3時間後に踏切の角で豪快にガガガと擦ってしまい、また板金塗装をした。トホホ。それでも愛着があり、平成20年に勇退ということにした。というのは毎回点検に出している近所の修理屋が、もう責任持てませんといわれたのがきっかけ。落語家の春風亭昇太が拙宅へ来た時、まだシティがあり、運転席に座り懐かしがっていた思い出がある。
平成21年の拙宅の年賀状。下の写真といっしょに歯医者と廃車をかけて勇退というシャレにしたら、何でこの若さで歯医者を止めるんだと連絡が3件来たなあ。それと昭和58年に結婚したから女房以上に長く乗っていますとまわりに言ったら、そういう表現は止めてくれと注意されたっけ。シティの座席の下から、買った当時数年間記録していた愛車日記も発見。それともう一つ、新しい車が届き(フィット)、車屋がシティを持って行った時、思わず出棺ですと叫んでしまった。
平成21年の年賀状 丈夫で長持ち 昭和57年6月15日~平成20年11月9日 勇退です。ハイシャではありません!!
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