春なのにコスモスみたい、、、
- 2012年06月02日
- ごじゃっぺ高座
上記の文句は資生堂春のキャンペーンの挿入歌。私の記憶が確かなら、昭和48年だったと思う。親元を離れて上京をした年でもある。大学受験で兄の下宿に泊った。テレビをひねると、「春なのに、、、、」がよく流れて来た。東京はチャンネルが多い。当時の長野県とはえらい違い。田舎者は東京に憧れるわけだ。東京では見るもの聞くものすべてが新鮮だった。家出して東京に来れば何とかなるという妄想を抱かせる魅力が東京にはあるらしい。その後、一人で住むようになり、テレビをつければ、その歌がよく流れていた。長野県の比ではない。今でもその最初の出だしはやけに記憶に残っている。
数年前、大田原図書館にいったとき、資生堂キャンペーンソング集のビデオがあった。見つけた時は驚いた。小躍りしたってのはこういうことか。さっそく視聴。年代が昭和48年になったとき、「春なのに~」が流れて来た。ところが、ところが、思っていたメロディーと違う。長年違ったメロディーで感傷にしたっていたわけだ。それにしても、その出だしを思い出すと当時の記憶が甦る。下宿の食堂の場面まで浮かんでくる。
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