「待合室の手拭い」 川柳川柳
かわやなぎせんりゅうと読む。三遊亭圓生門下。当時はさん生と名乗っていた。二つ目時代、兄弟子の圓楽より人気があり、真打間近。ソンブレロをかぶって、ギター片手にマラゲーニャと発していた。音感は鋭かった。ところが破天荒な芸風に師匠圓生が反発し、なかなか真打にさせてもらえなかった。私の記憶が確かなら、テレビ番組の司会をやっていた時期があったと思う。後輩にどんどん抜かれて行った。
圓生一門が落語協会を離脱したとき、当時さん生は協会に残る決断をし、圓生門下を離れ、小さん門下に移り、上記の名前に改名をした。ここらへんはチト記憶が曖昧。
川柳は武勇伝に事欠かない。今でもそうだが、酒癖が悪い。酔うと、突然トランペットのマネをする。それはまだいい方で、圓生門下時代、酔っぱらって師匠の玄関でう〇こをしたという話しはあまりにも有名。またこれも修業時代の話。東宝名人会で客がざわついていてちっとも噺を聴かないので、高座から突然「おま〇こ」と叫び、顰蹙をかったそうだ。いや、顰蹙かどうかはわからない。それを脇で聴いていた、寄席文字の橘右近が、すぐ圓生に連絡。後日呼び出され、圓生宅でお説教されたそうだ。圓生自体も、そういう「おま〇こ」なんていう言葉を高座で発するとは何事だと何度も、その言葉を使い、そばにいたおかみさんが、いたたまれなくなり部屋を出て行ったとの事。隣の部屋にいた、まだ修業中の圓楽、圓窓が笑いをこらえていたという話もある。これは、神楽坂毘沙門天で行った川柳川柳独演会の「ガーコン」の録音テープに残っている。
さて、拙宅で呼んだとき、一番気を使ったのは、打ち上げでのアルコール。焼酎が好きで、弟子のつくしとも事前打ち合わせをして、薄めにして出した。ところが薄いと言ってすっと立ち上がり、自分で原液を注いで一気に飲んだ。また今、歯科治療中とのことで、食事中、口を開けて見せてくれた。だいぶ飲んでトランペットのマネをする前に新幹線の時間ですといってお開きにした。
もう80歳をとうに過ぎている。拙宅でやったとき、その一か月前にタクシーと接触し、足が痛いと言っていたが、お決まりの「ガーコン」のあと、高座の上に立ち、脱穀機のマネをした。またいい声だ。年齢は入船亭扇橋と同じで親から、丈夫な身体をもらったと高座から言っていた。
昨年暮れに快楽亭ブラック毒演会が木馬亭であった。その中の出し物の一つが「川柳の芝浜」 川柳の酒癖の悪さ等を題材にしたブラックのネタ。ここでは書けない。先ごろ、日本の話芸で「ガーコン」をやった。元気のいい高座。噂では足腰が衰え、脱穀機のマネは出来ないと聞いていたが、どっこい、健在。
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