芸人の手拭い 林家たい平
笑点の人気者。当初笑点に抜擢されるとは思わなかった。でも二つ目時代から注目を浴びていた。新宿末廣亭でのこと。確か二つ目時代だったと思う。高座の後ろの襖をあけて、歌舞伎の衣装で登場したことがあった。記憶に残る落語家。都内の大きな会場でたい平は先輩落語家の助演をしたことがある。場所はどこだったろう。かなり上から高座を見たことがある。小朝独演会かな。武道館だったかしら。海老名家のクリスマスパーティのことを面白おかしく話していた。トナカイ役をやったとか、、、
それより、当寄席矢島亭の世話人でもある大吉屋文具店とたい平はものすごいつながりがある。落語家になる前、黒羽の雲巌寺へお参り行く計画を立てた。那須塩原駅で降りて、駅前にある大吉屋文具店へ行き道を訪ねた。本人は歩いて行くつもりだったとか。ご主人がびっくりして車で送ってやったそうだ。そのとき朝食を食べてないということで、朝食もお御馳走。当時学生であったたい平はいたく感動し、メジャーになったとき、テレビ取材でスタッフといっしょにやって来た。その場所が大吉屋文具店の別荘。私も呼ばれて会った。あの時はまだ笑点には出演していなかったかな。雲巌寺旅行で落語家になる決心をしたと本人から聞いた。
それから師匠こん平のピンチヒッターとして笑点に登場。レギュラーになったわけだ。当寄席矢島亭に呼んだとき、一人で来演。拙宅に来る前に大吉屋文具店に寄り、世話になったご主人の母上様にお線香をあげた。義理堅い。母上様がお元気だったところ、旅行ついでにたい平の実家へ寄ったそうだ。
拙宅へ来て色紙を書いてもらった。さすが美大出身だけあって丁寧に書いていたのが印象的。出囃子に笑点のテーマを用意したが、それは止めてくれと言われた。落語で勝負ということだろう。メンバーによっては笑点のことばかり話す落語家もいる。寄席矢島亭でも笑点の話題はサラッとしゃべったぐらい。
拙宅で世話人も交えて打ち上げの最中、ご子息から携帯。探し物が見つからないとのこと。丁寧に探す場所を教えていた。やさしいパパの一面。
というわけで5月23日(土)、第42回寄席矢島亭は、平成の大看板「柳家さん喬」独演会です。お手伝いは林家つる子さんという前座さんです。
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