40年目の出会い
- 2016年04月11日
- ごじゃっぺ高座
高校を卒業し、神楽坂の一般学生寮に入寮した。場所柄、理科大、法政、早稲田、中央、上智等の学生が多かった。その中に日本歯科大学へ通っている学生がいた。名前はHさん。その名前だけは覚えていた。ドラムが好きで、3畳間の部屋にドラムを持ち込んで叩いていた。まわりからうるさいと言われ、退寮した。どこか叩ける場所へ移ったようだ。私とは1年ダブっただけ。彼は学生、私は浪人の身。言葉を交わしたことがあったかどうか、、、、
先ごろ栃木県で歯周病学会があり、栃木県歯科医師会が後援。私も出席。そのとき臨床研修委員長の名前でH先生の名前があった。歯科医師会理事とそのH先生が親しげに話していたので関係を聞いたら大学の先輩とか、、、あれれ、もしかして、、、
終了後、おおそれながらとそのH先生にお聞きしたら、ビックリポン。その学生寮の名前までスラスラ言って見せた。40年めの出会い。でも一年ダブっただけだし、H先生は私の存在をしらないようだ。なのでお互い奇遇ですね宜しくお願いしますと言っただけ。
その学生寮で私は5年暮らした。入寮当時は最年少。5年めは最年長になっていた。まるで牢名主だよ。そのあと横寺町に移り、結婚して若宮町に移り、、、当地へ越してくるまで15年近く神楽坂にはお世話になった。
その間神楽坂の毘沙門寄席で三遊亭金馬と知り合い、金馬一門とも親交を深め、寄席矢島亭にもちょくちょく金馬師匠はじめ、弟子たちに来演して頂いた。あるとき、神楽坂商店街で記念誌を作り、それに金馬が投稿した。
内容曰く、その昔、日本歯科大学へ通っていた学生が毘沙門寄席によく聴きに来ていた。今では地元那須で落語会を開き、金馬一門が世話になっていると、、、金馬の弟子が拙宅へ連絡してくれて、記念誌に載っているよと、、、さっそく神楽坂へ行ったついでに文悠書店で購入。
神楽坂にいると歯科大学は日本歯科になるのかな。日本歯科大学は飯田橋駅を降りて富士見町方面。私の通っていた大学は水道橋。でも東京は不思議なところだ。飯田橋に日本歯科大学、水道橋に母校、御茶ノ水駅を挟んで医科歯科、日大歯学部。これって集中しすぎていませんか。
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