ごじゃっぺ高座 ごじゃっぺミーハー巡り
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ごじゃっぺ高座

図書館から借りた1964年のジャイアント馬場


 やっと読み終えた。588ページ。読みたくなり大田原図書館に頼んだ。2か月経って順番が回ってきた。じっくりと読む時間がなく、一日数ページ。一か月半くらいかかったかしら。その間延長届け。

 今のプロレスは良く知らない。昔の力道山時代のプロレスは不思議と記憶に残っている。読んでいても懐かしいレスラーの数々。豊登、遠藤幸吉、吉の里、吉村道明、大木金太郎、アントニオ猪木、マンモス鈴木、デストロイヤー、ブラッシー、サンマルチノ、バディーロジャース、オコーナー、ヒロマツダ、渕正信、ジンキニスキー、スタンハンセン、タイガージェットシン、ブッチャー、ジャンボ鶴田、天龍等々。

 内容はジャイアント馬場の生い立ちから始まり、巨人に入団。そこで怪我をして野球を断念。力道山の日本プロレスに入門。すぐアメリカへ修業に出された。いっしょに行ったのはマンモス鈴木。私もテレビで少し見たことがある。ところが、そのマンモス鈴木は図体はデカいが、運動神経が全くダメ。馬場といっしょに売り出そうとしたが役に立たなかったらしい。ホームシックになり帰国するし、、、、そのときのマネージャーはグレート東郷。元々大きな身体の割には運動神経抜群。メキメキ頭角を現した。アメリカ各地を転戦。人気が出てきた。それが力道山には面白くなかったようだ。力道山の世界チャンピオンベルトはどうも日本だけ通用するような世界チャンピオン。元々プロレスの世界チャンピオンは強いだけでな慣れない。観客を楽しませないと、、、そこへ行くと、カールゴッチは実力者だが、まじめすぎて試合が面白くない。なのでチャンピオンにはなれなかったという話は聞いている。プロレスのチャンピオンは計画的に作るようだ。もちろん実力も加味しているが、、、、

 力道山が亡くなり、急きょ日本に戻ることになった。でも馬場本人はアメリカでプロレスをやりたい。日本では馬場を必要としている。日本プロレスの関係者の中に山口組がいて、その関係者に拝み倒されしぶしぶ帰国。グレート東郷はどうも信用できないし、、、

 力道山なきあとの日本プロレス幹部は全く経営がわかっていない。稼いだ金は遊びに使うし、、、そんなこんなで馬場や猪木は日本プロレスを離れ、お互い別々のプロレス団体を作る。猪木の新日本プロレスは馬場の全日本プロレスに負けまいと頑張っている。でも馬場のいる全日本のほうがアメリカに人脈があり、いいレスラーを招聘。しかしマンネリで全日本プロレスも落ち目になってくる。猪木の新日本プロレスは人気が出てきた。とまあ、こんな内容がくわしく書かれてあった。

 馬場が日本人で初めてNWAのチャンピオンになった。でも裏工作をして、、、というよりお決まりの結果で事前に打ち合わせして1週間だけチャンピオンになった。それにしても当時の実況中継では日本人で初めてというフレーズをアナウンサーが何度も言っていたなあ。まあ、野暮は言うまい。

 それにしても図書館へ行くと、本は14冊。それも2週間借りられる。実際いっぱい本を借りていく人がいる。読めるのかしら、、、

1964年のジャイアント馬場

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