イプシロンと同じ気持ちだった
- 2013年10月21日
- ごじゃっぺ高座
実家の母が点滴だけの状態になり、8か月が過ぎようとしている。最初はこりゃ、長くないなあと思い、秒読みの段階と思っていた。ところがどっこい、高カロリーのせいか、顔つやもいいし、長く持っていた。こりゃ100歳まで点滴かと思った矢先。
いづれ別れの時がやってくる。そういう連絡が来た時、380キロ離れた実家まで車を運転できるだろうかと生前は考えていた。家内も同じ考え。いざその連絡が来た時、真っ先に考えたことは、何を持って行ったらいいのだろう。喪服はわかるが、何泊するのもわからない。友引が入るのでひょっとしたら、、といろんな想定をしていた。実家は葬儀屋と打ち合わせ。それでまた連絡が来るのを待っていた。結局訃報連絡後、1時間で出発と思っていたら、4時間近くすったもんだ。家内の実家の兄がパンをいっぱい差し入れ。またガレットという焼き菓子も差し入れ。実家に集まった子どもたちはパンに大喜び。またお菓子は弔問客に喜ばれた。
さて荷物を積み込んで出発。意外と冷静だった。きっと母が気をつけて来いよと見守ってくれたのかもしれない。
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