ため息
- 2013年07月23日
- ごじゃっぺ高座
私達夫婦を結び付けてくれた大学の先輩から電話。お中元のお礼。その先輩には在京時代、言葉では言い尽くせないほど世話になった。感謝。感謝。
先輩の住んでいたところは同じ神楽坂で、当時私が暮らしていた部屋と目と鼻の先。よく先輩の部屋に遊びに行った。いろんな方が訪れており、そこで家内と知り合ったわけ。
知り合う前、先輩の部屋へ行き、例によってバカッ話。あるとき私が、疲れていたのか何だか忘れたが、ため息を何度もついた。先輩にやたらとため息をつくなと注意された。相手の気分を害するぞと、、、その言葉が心に残った。
当地で開業する前まで勤めていた歯科医院にお局従業員がいた。すぐヘソを曲げる従業員で、他の従業員たちもまるで腫物に触るように接していた。もちろん、途中から雇われ分院の院長で入った私は他の従業員から聞かされて、そのように接していたと思う。例によってヘソを曲げだすと、やたらとため息をつく。我々にとってあてつけのため息に聞こえた。
私もその歯科医院に慣れてくると、そのお局の言いなりにはならない。ある日、治療順番でまたヘソを曲げだした。それを私のせいだと聞こえるようにブータレだした。回りの従業員も何でそんなことでヘソを曲げるのかとあきれ返り、私の反応を見た。もちろん、私も言い返した。一番びっくりしたのはお局。今までの雇われ院長は何でも言いなりだったが、私が初めて反旗を翻したわけだ。でもそのお局も言い返したなあ。そこへ本院の院長が戻ってきて、我々のバトルを見ていたが、どう見てもお局の言い分が支離滅裂。院長もお局を攻めだした。
今思えばお局の立場がない。院長には黙っていてほしかった。その後、その医院を退職して当地で開業したが、ほどなくして、その医院の従業員から電話。あのお局が辞めたということ。他の従業員も反旗を翻したかな。。
私は大学病院を退職してから都内で3件の歯科医院に勤めたが、2件の歯科医院で従業員を首にするきっかけを作った。ミスター首切り人かしら。でも当地で開業しているが、従業員は誰も辞めない。寿退職は何人かいて、今でもお付き合いをしている。
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