ダンシがシンダ
- 2011年12月01日
- ごじゃっぺ高座
療養中でよくなったらまた高座に復帰すると思っていた。突然の訃報に驚いている。若い頃、立川談志の落語は嫌いだった。でも気がついたら談志中毒一歩手前のファンになっていた。昨年、近所の図書館から談志のCDを次々に全部借りて聴いた。市販されているCDが全部あるのだ。声の質が年齢とともににおとろえている。でもファンはそんなことはどうでもいい。談志が聴ければそれでいいのだ。そして同じ時代にいるというだけで安心している。生の高座は何度も聴いたことがあるが、直にしゃべったこともある。その記念すべき第一回は、忘れもしない昭和48年。受験の帰り、鶴岡駅のホームで談志一行に会った。落語会の帰りだろう。そこでずうずうしくサインをもらいに行った。ところが紙がないのに気がつき、兄からもらった名刺の裏を見せた。談志はそれを見てポケットから自分の名刺を出し、その裏にサインをしてくれた。表面は参議院議立川談志。そして頑張れよといって握手を2回してくれた。さて、そのサインの脇にサラサラと書いてくれた文句だが、達筆過ぎて読めなく、しばらくは親分だけが人を説得すると読んでいた。さすが談志、シャレがきいていると納得していた。後年、それが親切ということがわかった。談志が色紙によく書く文句のひとつだ。15年後、今の談春、志らく等が二つ目になったとき、そのパーティに出席した。会場にいた談志にその昔のエピソードを話したら、もちろん覚えてはいなかったが、気さくな感じがした。私の名刺ホルダーの第一号は兄の名刺。2番目が立川談志である。
12月1日オープンのこのブログ、当初書きたいことがあったが、談志の思い出になった。
コメントを残す